行きはRに市役所まで連れて行って貰いそこから歩き始めます
越谷駅に向かって三つ目の信号を走る道が日本橋から日光を繋ぐ嘗ての日光街道で
越谷は3番目の宿場町として栄えたとの事です
駕籠かきにや飛脚が走り回り町民が下駄の音を鳴らし歩いていた光景は今は昔
交通量の多い道と化していました
写した建物は国の登録有形文化財に指定されています
①
今日はシャッターを切るのが精一杯な程の交通量で屋号も確かめられずに終わりましたが
何時か機会が有れば市役所、又は図書館に出向いて調べてみようかとも考えています
②
③
現在開業しているのか分かりませんが産婦人科医院の看板が掲げられておりました
⑤
⑥
⑥ー1
⑥・⑥ー1共に会田金物店
⑦
⑧
街中に小さな鎮守様が有りました。町民は勿論、江戸に向かう者、日光に向かう者にとって
旅の安全は欠かせないもの、旅の無事を祈って手を合わせた事でしょう
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以下は嘗て材木商を営んでいた大野家の建物です
現在は、拘りショップ・レストランを供える古民家複合施設「はかり屋」として生まれ変わり維持されています
偶々ここで仕事を出している方がおりましたので大まかな話を聞く事が出来ました
⑨
⑩
⑪
⑫
⑪⑫は8畳二間の座敷の間
食事を頼んでおりませんので中へは入りませんでしたが
シンプルな板欄間や床構え・書院などが見どころだそうです
⑬
⑭
⑮
⑬⑭⑮は蔵の間、改修前は一階に畳が敷いて有った事から座敷蔵と呼ばれ
外壁は黒漆喰仕上げ、柱は檜、小屋梁には欅が利用されている座敷蔵としては贅沢な造りです
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明治38年よりおよそ120年間、かつてはこの様な建物が日光街道の随所に見られた様です
時代の変化と共にその姿が失われ残った建物は老朽化が進み
2015年、用地を取得した地元企業が解体してそこに分譲住宅を造る計画を持ち上げました
が、地元住民の熱い思いのお陰でこうして今に残され、幸いにもそれらを私は目にする事が出来た訳です
宿題は未だたくさん有りそうな日光街道 増々興味が湧いてきました
越谷日光街道は歴史的建造物が数多く残っているようですね。
古い建物に往時の面影を感じ取ることができます。
そんな中にあってピンク色の建物には、現代の街中においても違和感のないモダンさを感じます。
まだまだ、見どころがたくさんありそうな街ですね。
たかさんお元気ですか・・・
【越谷は3番目の宿場町として栄えたとの事です
駕籠かきにや飛脚が走り回り町民が下駄の音を鳴らし歩いていた光景は今は昔
交通量の多い道と化していました】
素敵な宿場町ですね
私の東京時代の寮人が川越で同棲していました
川越も同じような宿場町です
子供が生まれたので仲間2人とお祝いに出かけました
私は若かったので当時タバコを吸っていました
エチケットが知らず奥さんに灰皿を貰い2人で吸ってしまいました
缶ビールも出されたので飲んでいました
すると新しくパパになった人から「赤ちゃん要るのでタバコは外で頼むよ」
と言われてしまい慌てて外に出た思い出があります
2人共独身でしたので気が回らなく恥ずかしかったです
奥さんは仕方なく灰皿を用意したのでしょうね
帰りに奥さんに謝罪した事を思い出しました
この古い家のつくり懐かしく感じるものが多い
どれも歴史を感じる古い家なのでしょうけどよく残ってますね
老朽化した建造物を残そうと頑張った市民の熱意の賜ですね。
国も応援している様ですから力強いですよね。
一軒だけ見つけた病院の板壁のモダンさも然ることながら
デジカメでは光が強く細かな装飾部分が写りませんでしたが
玄関や軒下などに施されたロートアイアンの一つ一つもそれは素晴らしい物でした。
これからは花の季節、建造物に限らず色々と楽しめそうです。
川越は良く行きました。
越谷は川越ほど整備されておりませんが宿場町で栄えた当時を思い起こし胸をときめかしながら撮影して参りました。
佐貫卓球ルームさんは一世を風靡した「神田川」に感化された時代に生きて来られたのでしょうか。
村育ちの私には縁の無い同棲時代
羨ましいと言って良いのか分かりませんがそんな冒険も時代の流れですね。
はかり屋さん以外はかなり老朽化が進んでおり危うい建造物も幾つかありました。
群馬の桐生ではそうした建造物を残すため盛んに手を入れておりますが
越谷も早目の対策を考えないと関東大震災と言う危機が近づいているのは確かです。
その前に手を打って欲しいですよね。
すごいなぁ~
昔の街並みを歩くのは なかなか楽しい
ものです
シャッターを押すのに夢中になりますね
古い町並みは 残すのが大変ですね
日々劣化していくものですからね
所で前回のアップで 娘さんが作られた
お弁当がアップされてました
おいしそうでしたねぇ~
その上 娘さんが作ったというのが
とってもうらやましく思いました
いいなぁ~(#^^#)
たかさんお元気ですか・・・
【佐貫卓球ルームさんは一世を風靡した「神田川」に感化された時代に生きて来られたのでしょうか。
村育ちの私には縁の無い同棲時代
羨ましいと言って良いのか分かりませんがそんな冒険も時代の流れですね。】
私は1951年生まれの ウサギです
神田川は知らずに生きていました
結果的にはそうゆうふうになっていました
周りの友人達も同棲から結婚に進んだようです
当時私は東京で寮に入り夜間校に通い上のランクの国家資格を目指していた時期なので必死に頑張っていました
最近はそんな事で食欲も増し体系が変わらないかと心配になるほど良く食べる様になりました。
日光街道は古い街並みと言うほどでは有りませんが古き良き時代を偲ぶには十分でした。
かなり老朽化した建造物も在りましたが市や町民が、これを放って置く事は無いでしょう。
祭りも有るでしょうから、それも楽しみです。
私が主人と出かけた時に作っていたお弁当は簡単なものでしたが
娘は色んな具材をふんだんに使って丁寧に調理してくれるので凄く美味しいです。
街を知るだけでなくお弁当もウォーキングの楽しみの一つかな!
キャサリンさんが褒めていたと話したら娘も喜こぶ事でしょう。ありがとう。
>当時私は東京で寮に入り夜間校に通い上野ランクの国家資格を目指して・・・
素晴らしいですね
私の様にノホホンと生きてきた人生とは数倍の違いが有ります。
苦労してこそ人間も深みを増すものですよね。