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自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

名寄本線渚滑川橋梁にラチスガーダーが使われていたのか?

2014年10月24日 | 鉄道―名寄本線周辺廃線調査
ラチスガーダーについて、以前ブログに書いたが、たまたまラチスガーダーをネットで調べていたら、土木史研究15号“わが国における鉄道用ラチス桁の現況とその歴史的経緯”(西野保行・小西純一・中川浩一 敬称略)なる論文が引っかかり、そこの表3(ラチス桁架設橋梁調)に、第3湧別川橋梁・名寄川橋梁と共に渚滑川橋梁が一覧にあった。
その一覧を見て、60フィートのラチスガーダーは第3湧別川橋梁に充てられているはずだと疑問に思い、名寄線建設概要(コピー)を引っ張り出した。

まず、建設概要の34ページにある鉄桁使用数の表を見ると、鋼鈑桁(プレートガーダー)・鋼格桁(ラチスガーダー)・転圧工形桁(Iビーム)の桁種別と、8~60フィート(以下ft)の径間の欄があるが、このうち、ラチスガーダーは50ft×2,60ft×5とあり、プレートガーダーは40ft×20,50ft×2,60ft×14とある。
(プレートガーダーの代用であるラチスガーダーは40・50・60・70ftの4種類のみ)
次に、23~30ページにある橋梁の表を見ると、ラチスガーダーとプレートガーダーの区分がないが、建設概要の写真のページでラチスガーダーの使用を確認した名寄川橋梁と第3湧別川橋梁は、名寄川橋梁が50ft×1、第3湧別川橋梁が60ft×7,30ft×3のガーダーとなっている。
ただし、第3湧別川橋梁は、建設中の湧別川出水による桁墜落等復旧及橋梁延長工事で、60ftガーダー2連が増設されており、増設されたのはプレートガーダーである事を写真から確認している。

建設概要の鉄桁使用数の表が正しく記載されていれば、60ftのラチスガーダーは、第3湧別川橋梁に全て使用されて60ft×6の渚滑川橋梁には1連も使用されなかった事になり、更に、50ftラチスガーダー1連がどの橋梁に使われたのか不明である事が新たにわかった。
ただ、渚滑川橋梁については、昭和13年に渚滑川改修工事の為に架け替えられて、19m20ガーダー×6,31m50ガーダー×3,22m50ガーダー×4(確か日本国有鉄道百年史の記述による)となったので、いずれにしても鉄道廃止当時にはラチスガーダーは使用されていなかった事になる。

さて、行方不明の50ftラチスガーダー1連についてだが、50ftガーダーが使われたのは、名寄から天北峠を越えたところで最初に興部川に架けられた興部川橋梁(第1興部川橋梁とは別)か、6番目に興部川に架けられた第4興部川橋梁か、パンケオクッタロマナイ川橋梁になるが、第4興部川橋梁はプレートガーダーが使われているのを建設概要の写真で確認しているんだよね。
どこで使われたのだろうか…?


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