私がブログなるものを開設して、02月11日の今日、700日目を迎えたらしいので、ちょっと個人的な事を書いてみる。
私のブログの数少ないリンク先に、水や泥をかぶった写真やフィルムの処理方法を記した、富士フイルム株式会社様のホームページ内にある写真救済プロジェクトがあるが、わざわざリンクを貼ったのは、写真が好きで自然や風土や日常の思い出を大切にしたいと思っているからというのもあるが、写真についてまだまだわからない頃に製版会社の仕事で他人様から預かったフィルムを汚損した事があって、その時にある人に助けてもらった記憶を忘れたくなかったというのもあったからである。
この人は、鉄道雑誌に写真が掲載されたり鳥の写真のコンテストに入賞した事があり、たった一度だけJR深名線の跡地を一緒に探索しただけの、つきあいとしては深いものではなかった。
ある日の事、H社の仕事で日本家屋を撮影したポジフィルムをスキャナにかけた後、写真を戻す際に誤って唾液を飛ばしてしまった。
この時、藁にもすがる思いでその人にメールしたところ、処理方法について速やかにメールをいただいて処理を済ませ、誰にもばれずに、何事もなかったかのようにフィルムを返却する事ができた。
だが、この人はそれから間もなく体調を崩し、他人とのつきあいがほとんどなくなってしまい、私との関係はそれっきりになってしまった。
自殺したという連絡が入ったのは、それから数年過ぎたクリスマスイブの前日だったか当日の未明の事だった。
例年のようにクリスマスイブを全力で逃避するどころか、完全に放心状態となって何も手につかず、どうして突撃してしまったのかと、その人の写真が掲載された雑誌をひたすら見つめては涙した。
北の大地に消えていったその人のタンチョウの作品を見る機会があったが、生命の躍動を切り取ったその瞬間、どういう思いでシャッターを切ったのであろうか?
私のブログの数少ないリンク先に、水や泥をかぶった写真やフィルムの処理方法を記した、富士フイルム株式会社様のホームページ内にある写真救済プロジェクトがあるが、わざわざリンクを貼ったのは、写真が好きで自然や風土や日常の思い出を大切にしたいと思っているからというのもあるが、写真についてまだまだわからない頃に製版会社の仕事で他人様から預かったフィルムを汚損した事があって、その時にある人に助けてもらった記憶を忘れたくなかったというのもあったからである。
この人は、鉄道雑誌に写真が掲載されたり鳥の写真のコンテストに入賞した事があり、たった一度だけJR深名線の跡地を一緒に探索しただけの、つきあいとしては深いものではなかった。
ある日の事、H社の仕事で日本家屋を撮影したポジフィルムをスキャナにかけた後、写真を戻す際に誤って唾液を飛ばしてしまった。
この時、藁にもすがる思いでその人にメールしたところ、処理方法について速やかにメールをいただいて処理を済ませ、誰にもばれずに、何事もなかったかのようにフィルムを返却する事ができた。
だが、この人はそれから間もなく体調を崩し、他人とのつきあいがほとんどなくなってしまい、私との関係はそれっきりになってしまった。
自殺したという連絡が入ったのは、それから数年過ぎたクリスマスイブの前日だったか当日の未明の事だった。
例年のようにクリスマスイブを全力で逃避するどころか、完全に放心状態となって何も手につかず、どうして突撃してしまったのかと、その人の写真が掲載された雑誌をひたすら見つめては涙した。
北の大地に消えていったその人のタンチョウの作品を見る機会があったが、生命の躍動を切り取ったその瞬間、どういう思いでシャッターを切ったのであろうか?
読んでて切なくなりました
彼はたぬきさんの心の中で生き続けるのですね
そのように言っていただけると、とても救われます。