以前の記事で、廃止となった深名線の旧蕗ノ台駅の辺りを走っていたモーターカーについて若干触れておきながらすっかり忘れていたので。
かつての己のホームページから抜粋。
…私が蕗ノ台駅跡地を初めて訪れたのは、平成10年10月中旬の、暖かい昼下がりであった。
廃止直前には藪となっていた駅の跡地は、草が取り払われて残骸の山となっていた。
陽炎が昇るレールの行方をぼんやりと眺めていると、朱鞠内の方から唸りを上げて接近してくるものがあった。
何事かと注視していると、陽炎の向こうからモーターカーが坂を越えてきて、私の目の前に現れた。
列車が走らなくなったはずの線路の上を未だに走行している車両がいるという事態を飲み込めずに立ちすくんでいる私の目の前でモーターカーが停止したかと思うと、運転士が近くに止めてあった重機に乗り込んで、後ろに積んであった枕木等の残骸を黙々とおろし始めた。
多くの時間と、血と汗と涙を費やしてやっと完成した路線の終焉を告げる、とてもさびしい光景であった。
モーターカーの乾いたエンジン音と、残骸の山を作っている重機の唸りだけが、晩秋の山奥に空しく響き渡っていた…。
1995年08月12日
深名線旧蕗ノ台駅の在りし日の姿
かつての己のホームページから抜粋。
…私が蕗ノ台駅跡地を初めて訪れたのは、平成10年10月中旬の、暖かい昼下がりであった。
廃止直前には藪となっていた駅の跡地は、草が取り払われて残骸の山となっていた。
陽炎が昇るレールの行方をぼんやりと眺めていると、朱鞠内の方から唸りを上げて接近してくるものがあった。
何事かと注視していると、陽炎の向こうからモーターカーが坂を越えてきて、私の目の前に現れた。
列車が走らなくなったはずの線路の上を未だに走行している車両がいるという事態を飲み込めずに立ちすくんでいる私の目の前でモーターカーが停止したかと思うと、運転士が近くに止めてあった重機に乗り込んで、後ろに積んであった枕木等の残骸を黙々とおろし始めた。
多くの時間と、血と汗と涙を費やしてやっと完成した路線の終焉を告げる、とてもさびしい光景であった。
モーターカーの乾いたエンジン音と、残骸の山を作っている重機の唸りだけが、晩秋の山奥に空しく響き渡っていた…。
1995年08月12日
深名線旧蕗ノ台駅の在りし日の姿
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