前の記事で、当時の国鉄の送電線が根戸の森を横断していた事を書いたが、現在も当時の痕跡が残っているので、まずは、我孫子市水道部第15号取水ポンプ室のある小屋付近から取り上げる。
結論から言うと、当時の痕跡はここも含めて国鉄用地の境界杭しかないのだが、“エ”の記号が入った境界杭が鉄道用地を示すものだと知っていれば、畑のど真ん中にある時点で面食らうと思う。
撮影の際には気が付かなかったが、用地境界杭のある場所から東京電力我孫子線No.38鉄塔を眺めると、No.37以前の若番の鉄塔が一直線に並んでいるのがわかるだろうか?
こうして写真を眺めると、杭と杭の間隔が狭いようにも感じてしまい、この小さなスペースで送電鉄塔を建てる事ができるのかと疑ってしまい、記憶にあるものよりも鉄塔の高さは低かったのかと考えてしまう。
結論から言うと、当時の痕跡はここも含めて国鉄用地の境界杭しかないのだが、“エ”の記号が入った境界杭が鉄道用地を示すものだと知っていれば、畑のど真ん中にある時点で面食らうと思う。
撮影の際には気が付かなかったが、用地境界杭のある場所から東京電力我孫子線No.38鉄塔を眺めると、No.37以前の若番の鉄塔が一直線に並んでいるのがわかるだろうか?
こうして写真を眺めると、杭と杭の間隔が狭いようにも感じてしまい、この小さなスペースで送電鉄塔を建てる事ができるのかと疑ってしまい、記憶にあるものよりも鉄塔の高さは低かったのかと考えてしまう。
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