80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

2011年06月07日 マト51

2011年06月10日 | 鉄道―車両
 この日、かつての地元の常磐(緩行)線を走る電車が、長らく過ごしてきた車両基地のある松戸を去って新潟に向かっていった。

 これまで地下鉄千代田線に乗り入れていた103系電車(1000番台)を置き換えるべく、203系という形式が与えられた最初の編成として昭和57年夏に完成したこの電車は、常磐緩行線我孫子・取手間複々線化開業以来28年余りの間走り続けてきたが、より新型であるE233系2000番台の導入に伴い、05月後半に営業運転から離脱した。
 小学生の頃、東京ドームから歩いて20分位のところにあった父の写植会社や亀有の親戚宅に出かける時は、列車の制御方式の関係で床下から激しい熱気がこみ上げる103系1000番台を敬遠して、熱気を発さない分だけましだった当時の営団地下鉄から乗り入れる6000系を選んだものだったが、クーラーが搭載されて熱源となる装置がなくなった203系の登場は、ぎらぎらした車体という事もあって輝かしい存在に見えた。
 大人になって地下鉄千代田線沿線で勤務するようになって、転職するまで多々お世話になってきた203系は、全17編成の中から何本かの編成が東南アジアに活躍の場を求める事になったが、203系の第1編成はスクラップを免れて海外へ渡航するべく、新潟で改造工事を受ける事になったそうだ。
 乗入れ先の千代田線からも、既に海外に活躍の場を移した6000系がいるそうで、末永く活躍してもらいたいと切に願う。

 前ふりが長くなったが、06月07日は仕事が休みだったので、本来なら朝から出かけて松戸で撮影するはずだったのだが、体調を崩して昼近くまで寝込んでしまった為、見送る事ができなかった。
 勤務の都合でコンデジでしか営業運転中の203系第1編成を撮影できなかった事もあって、最後位は春に入手したばかりのデジ一眼で見送りたかったのだがままならず、やりきれない気持ちを抱えたまま、我孫子に足が向いていた。
 この日は運良く、残り少なくなった203系が約30分の間に2本撮影できたので、ふらふらになりながら我孫子から撤収した。






さようなら、マト51編成。

(平成23年02月15日 我孫子・北柏間30.5キロ地点付近にて撮影)



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