「これだよ…これを求めていたんだ」
大友克洋が総指揮を勤めた3話からなるオムニバスムービー。以下、各作品ごとに感想を述べる。
『彼女の思い出』
監督:森本晃司
出演:磯部勉、高島雅羅、山寺宏一、飯塚昭三、他
「第七芸術とは、こういうこと」
スクラップを回収する宇宙船が宇宙の果てでSOS信号をキャッチ。救助に向かった先で、怪奇な現象が起きるというもの。
SOSが罠だった、という手法はSFではわりと古典的だと思う。
また、怪しげな洋館(ここでは宇宙船だが)に取り憑いた怨念が、訪ねる人を怪奇現象に巻き込む、という手法も常套である。
でも、そこに「思い出」というメローな主題と、オペラの音楽とをミックスすると、こんな作品になる。
特に圧巻だったのは宇宙船が爆発する中、朗々とソプラノで歌い上げる美女と、船外に吹き飛ばされる残骸の混交。
幻想的でありながら迫力のあるこのシーンは、映像と音楽が結びついた傑出したシーンだと思う。
他にも、廃屋同然の空間が、瞬く間に明美な景色に変わるシーンや、幻想と現実の境目で揺れる心理描写など、音楽と映像が結びついた見所が満載である。
これが本当の第七芸術なのだと唸らされる。
『最臭兵器』
監督:岡村天斎
出演:堀秀行、羽佐間道夫、大塚周夫、阪脩、他
「超一流のB級作品」
毒ガスを発生させる生物兵器を誤飲してしまったサラリーマン(ものすごく臭いので最臭)。
自分がガスの発生源とは知らずに東京を目指す彼をくい止めようと、政府は自衛隊を動員して彼を殺そうとする超ナンセンスギャグ。
3部作の中で一番笑った作品。
プロットそのものは、よくある政府の陰謀(軍の過失を秘密裏に抹消するなんて奴)ものと同じで、『カサンドラ・クロス』なんかを思い出した。
白い防護服を身につけた米軍兵が登場するシーンは、まさにこの手の映画のお約束だ(『E.T』でもあった)。
で、東京を目指す怪物をレーダーで眺めながら、打つ手が無くて右往左往する自衛隊というのは『ゴジラ』に代表される怪獣映画の十八番。
こういう映画のテイストを取り込みつつ、怪獣の正体が「カブに乗ったサラリーマン」っていうところが、この作品の最大の魅力。
トンネルを抜けると空一面の戦闘機の数々。カブを爆撃するために、ミサイルやら爆弾を投下しまくる自衛隊。
とにかくナンセンスすぎて笑いが止まらない。
ここまでくだらないことを、真剣に撮ったということを賞賛したい。
たが不幸にも、その後、オウムによるサリン事件が発生したため、毒ガス兵器の恐怖が、架空の笑いではなく現実の恐怖となってしまった。
この点のみが非常に残念である。
『大砲の町』
監督:大友克洋
出演:林勇 キートン山田 山本圭子 仲木隆司、他
「メッセージはいらない」
外国に向かって大砲を撃ちまくる「大砲の町」に住む一家の一日を追ったもの。
この作品は、最初から最後までワンショットで撮っているということで、技術的な面で話題になっていた。
実際に観てみると、擬似的にワンショット風にしている感じだった。シーンのつなぎ目に工夫を凝らしているのだ。
たとえば、登場人物がフレームイン・アウト(カメラのパンも含む)することでシーンを変えたり、あるいは遮蔽物をワイプやフェード変わりにしていたりといった具合だ。
こういう手法は、まさにアニメ的だと思う。
実写でも編集によっては可能だと思うが、シーンの空間性を無視しつつも違和感無くつなぐというのは、アニメに向いていると思うのだ。
ストーリーに関してはプロットらしいプロットはない。
ただ、無闇やたらと大砲を撃ちまくる町。
大砲の撃ち方を教える学校。
大砲発射という産業(労働?)があり、その大砲発射そのものが儀礼化している倒錯。
弾頭工場で働く主婦。
そして、何よりも「なぜ、大砲を撃つのか?」ということを知らない子供と答えない親。
反戦、狂気、人間性……などなど、思いつく限りのメッセージが込められているように見える。
でも、作中ではそのことに対して、解答は出していない。
少なくとも、言葉ではメッセージを伝えていない。
ただ、「大砲の町」の日常を切り取って、それを見せて終わりなのである。
この映画は「映像」が持つ意味、あるいは「映像」の可能性を模索した実験作なのではないだろうか、などと単純な私は考え込んだりする。
この作品を観て思ったのは、これが日本映画の生きる道だということ。
この映画が、どれだけ稼いだのかはわからないけれど、日本人の新しい映像作家・映像表現を育てるためにも、こういう実験的な機会をもっと与えてほしい。
とはいっても、経済性を無視した映画製作なんて、今の時代には無理なんだろうなぁ~……
『MEMORIES』(ビデオ)
製作総指揮:大友克洋
評価:8点
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