前回の報告の補足です。
<希望>とか<絶望>は人間の側の主観的な感情なわけですが、ここに出てくる「星」はそれとは違う超越的な感覚を感じます。
震災後見上げた美しい「星」がなかったら、DANさんに『命の花』のメロディーや詞は「降りて」きませんでした。
多くの被災者の避難場所になった、「南三陸町観光ホテル」の女将さんも「震災翌日のいつものように何も変わらない真っ赤な朝日を見て涙が出た」とおっしゃていました。
こんな苦しい状況にいるに関わらず、太陽はいつも変わらず昇り沈む。
人間を超えたところでの地球の営み、<私>が死んでも続いていく宇宙の運動を感じたとき、人間は「楽」になる部分があるのではないでしょうか。もちろんそこに「無力感」や「虚しさ」を感じる人もいるでしょう。
でも私は何か楽になります。
人間の側での感情では計り知れないもの、人間の丈、尺度を超えたもの。<絶望>とか<希望>という二項対立がなくなって、大きなものに包まれるというか、溶けていく感覚。融合。
「無限」を感じて人は二つのタイプに分かれると誰かが言っていました。確か、ジョルダノ・ブルーノとパスカルの宇宙観の違いで。「無限」を目の前にしたとき、脅威を感じ、恐怖にかられてそれをコントロールしようとするか、神秘を感じて大地に向けて感謝し祝福するか。
「ユーミン」の新曲に対するインタヴューを思い出しました。
『ひこうき雲』は「レクイエム(鎮魂歌)」。今度の新曲『シャンソン』は「アンセム(賛美歌)」。(加賀谷)