今日も、「エマオの道で」デニス・キンローの文の抜粋を紹介致します。
私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。 (ピリピ1ー21)
チャールズ・ウェスレーの讃美歌「愛するイエスよ」(教会福音讃美歌51番)の一節です。
「我が求むるは、ただ主イエスのみ
すべてのものは みな主にぞある」
ウェスレーは、人間のあらゆる必要に対する答えは、すべてキリストにある。私が望むような事でも、キリストはおできになるのです。
キリストが私達になして下さり、又、与えて下さる、どんなものよりもキリスト自身の方がはるかに優っているのです。
ウェスレーはキリストだけで十分だと言っているのです。ですから私達はキリスト以外には何も必要ないのです。
神しか持っていない人の方が貧しい事は決してありません。なぜなら神は十全なお方だからです。
パウロは牢獄の中からピリピの教会の人々に、
生きることはキリストで、どんな境遇にあっても満ち足りる事を学んだ事を語りましたが、パウロの真意はこの事だったのです。
イエスが金持ちの青年に、持っているものを全て売り払って、私に従って来なさい、と言われたのも同じ真意です。
主イエスは青年に、貧しくなれと仰っているのではありません。
キリストは青年を、はるかに、素晴らしい泉に招いておられたのです。キリストは十全な、お方です。キリストのみを求める事に専念しましょう。