勅令が、ローマ皇帝アウグストから出た。
人々は皆、登録のため、それぞれ自分の町
に帰って行った。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋で
あったので、ガリラヤの町にナザレから
ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ
上って行った。
身重になっていた、いいなずけの妻マリヤ
と共に登録するためであった。ところが
彼らが、そこにいる間に、マリヤは月が
満ちて、男子の初子を生んだ。そして、
その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。
宿屋には、彼らのいる場所がなかったから
である。
ここから「岩から出る蜜」(蔦田二雄著)か
らです。
偉大な出来事であればある程、聖書には
それらの事が簡潔に記されている。
野宿して夜、群を守っていた羊飼いたちに
「恐れる事はありません。今、私は、この
民全体のための、素晴らしい喜びを知らせ
に来たのです。」と告げられた御子の
ご降誕の出来事は、非常にスケールの大き
い事であった。
神の全家をあげての直接的な歓喜の出来事
であった。しかし、至って素朴な描写がさ
れてている。
主の使いが羊飼いの傍らに立ち、主の栄光
が照らすとは、神の臨在を分からせる現象
であった。これが「シェキナの栄光」であ
る。たくさんの天の軍勢が、み使いに加わ
って、神への讚美が捧げられた。
「いと高き所に栄光が、神にあるように
地の上に、平和が、御心にかなう人々に
あるように。」
と、集ったみ使いの数は、どれ程、大きな
ものであったかも知れない。数え尽くす事
の出来ない軍団であったであろう。広範囲
な偉大な歓喜の音信である。
ヘンデルのハレルヤコーラスが合唱される
時は、多くの楽団員や合唱員が演奏します
が、聴衆は更に何倍もの人々に聴かれます
しかし、天の大合唱を聞いた人は数人の
羊飼い達だけでした、
私達は、この偉大さを理解する心、神の
栄光を見る目を持っているだろうか。
又、歓喜の調べを聞くことの耳を持ってい
るだろうか。
み使い達が羊飼い達から離れて天に帰った
時、彼らは「さあ、ベツレヘムまで行って
主が、私達に知らせて下さった、この
出来事を見届けよう、」急いで行って
マリヤとヨセフと、飼葉桶に寝ている
みどりごとを探し当てた。
羊飼いたちは、この幼子について、自分達
に告げられた事を知らせた。
羊飼いたちから、この事を聞いたマリヤは
これらの事の全てを心に留めて思い巡らす
事のできる人物であった。
時間をかけて、ゆっくりと思い回す事が
大切である。駆け足のようでは深さが出て
こない。心を離さないで思い回すことが
肝要である。そして一層、キリスト理解に
継続的に進歩しようではないか。