聖書を開くと最初の巻が創世記です。
「初めに神は天と地を創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵の表に
あり神の霊が水の表を覆っていた。
神は『光あれ』と言われた。すると光が
あった。…神は光を昼と名ずけ、闇を夜と
名ずけられた。」 (創世記1-1、2)
ここから「静まりと黙想の朝に」(松木
祐三著)からです。
神の業を「日」によって区切っている。
1日は24時間ではなく、何万年、何億年と
いう長い期間であろう。
1日目は光の創造、
2日目は上の水と、下の水の区分。
3日目は海と陸の区分。
4日目は植物の発生。
植物は種類に従って発生している。
5日目は天体
6日目は動物の創造である。
これも種類に従って発生している。
聖書の考え方は、神が全てのものの根源者
であるという事である。
創造は神の栄光。自然については
「諸々の天は神の栄光を顕わし、大空は
み手の業を示す」 (詩編19)
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私は、今、夜は、箴言を通読しています。
そこにも創造の業が出てきます。
「神が昔、その業を成し始められる時、
その業の初めとして、私を造られた。
…まだ海もなく、また、大いなる水の泉も
無かった時、私は、すでに生まれ、
山々も定められず、丘も無かった時、私は
すでに生まれた。すなわち神が、まだ地を
も野をも…造られなかった時である。
彼が天を造り、海の表に大空を張られた時
私は、そこにあった。…海にその限界を
立て、水にその岸を越えないようにし、
地の基を定められた時、
私は、その傍らにあって名匠となり、
日々に喜び、常に、そのみ前に楽しみ、
又、地の人を喜んだ。」 (箴言8-22~31)
すなわち、父なる神、御子イエス、聖霊な
る神が、私達の地球を造り、人を造られた
のです。しかし、その後、罪が人間に入り
ます。
「なぜなら万物の帰すべき方、万物を造ら
れた方が、多くの子を光栄に導くのに
彼らの救いの君を、苦難を通して全うされ
たのは、彼に相応しい事であった。」
(ヘブル3-10)
地球全体を造られた神は、もちろん
日本列島をも造られたのですが、日本人は
、異なる神を導入するという大きな罪の
中にいるのです。