から抜粋し記します。
13章の前半の部分
主イエスが「私の国は、この世のものではない」
と言われた。本章に教会と国家についての考えが
ある。
国家で権威ある立場に立つ者は、神の僕として
立てられている。神の僕とは、善事をする者は
これを認め、悪事の者は、これを罰する役割を
果たす者の事である。
ところが、歴史上には、神の僕としての働きを
しない権威者もいた。キリスト者も、その場合
でも従うのか。権威が明らかに神に対して背く
様な事をした場合、初代教会の信徒は
「人間に従うよりは、神に従うべきだ」と言って
抵抗し、その結果、捕縛された。
旧約聖書のダニエルも同様であった。(ダニエル3)
明らかに、神に対立した権威は滅びた。
キリシタンを抹殺した徳川幕府も、天皇を
現人神にした軍国主義も滅びた。
神を恐れる権威者が立てられる事を望む。そうで
ないと、その国は滅びる。
13章の後半の部分
社会生活の基本的な生き方を教えている。
8節には、愛が基本になるべきである、という。
モーセの十戒は古代社会の規律であるが、それ
を主イエスは神を愛する事と人を愛する事と
まとめた。
真に人を慈しむ思いがないと、どんな規定を設け
ても、抜け道を作って人を傷つけてしまう。
「人を愛する事は、律法を全うするのである
『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』
等、他にどんな戒めがあっても、結局『自分を
愛する様に、あなたの隣人を愛せよ』という
言葉に帰する」
「あなた方は、時を知っている」その意味は
① 今が新約の救いの時代である。
② 終末の時代である。
終末には二つの意味がある。
① 主の再臨の事。
② 自分の死を事
「昼のように、正しく歩み、宴楽、酔酒、淫楽、
好色、闘争、嫉妬に歩んではならない。
ただ、主イエスを着よ、肉の欲に従うな」
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ここからは私の持論です。
内村鑑三の不敬事件が起きたのは明治21年。
彼が、当時、第一中学校の教頭の時に、学校で
教育勅語の上程の儀があり、その時、彼は軽く
礼しただけで、最敬礼をしなかった。それを
学校や学生から責められ、彼は職を辞した。
マスコミもこれを、大きく報道した。
その当時から神社参拝の強制、天皇の神格化は
進んでいた。
司馬遼太郎は、彼の本の中に、明治政府による
御名御璽、統帥権の天皇への集中を進めた事が
書かれている。日清、日露戦争。
更に、太平洋戦争と日本の有史以来の人命を損
なう事になった。
戦争中、キリスト教の牧師は投獄され、獄死した
方もおられる。
私の母の兄は南方戦線で戦死
私の父は召集され北支那へ。
現在は平和な時代であるが、今でも、
神道議員連盟、神道と経済団体との交流は続け
られており、森元総理の「神の国」の発言など
不安な発言があった。