聖書と共に

弟子達の足を洗う

「過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもと行くべき自分の時が来たことを知り、世にいる自分の者達を愛して、彼らを最後まで愛し通された。…イエスは父がすべてのものを、自分の手にお与えになった事、又、自分が神から出て、神に帰ろうとしている事を思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って、水をたらいに入れ、弟子達の足を洗い…始められた。
            (ヨハネ13-1~5)
当時、足をあらうのは、奴隷の仕事でした。

「静まりと黙想の朝に」から紹介いたします。
最後の晩餐の席で、主イエスは弟子達の足を洗われた。それは、彼らの間に「誰が偉いのか」と言う論争があり、ユダも主を売ろうとしていたからである。主イエスは汚れた足を洗い、又、その心も、洗いたいと思われたのであろう。

ところで、順次、弟子の足を洗って来られると、ペテロはそれを拒否した。師に足を洗って頂く事を、申し訳ないと考えたからであろう。
しかし、主は「もし、私があなたの足を洗わないなら、あなたは、私と何の係わりもなくなる」と
言われた。主に洗って頂く事は、必須の事なのである。

人々は最初、教会に来る時、何か道徳的、倫理的に正しい人にならなければならないと思うものである。その様に考えるのは自然であろう。
しかし、キリストに洗って頂けなければ、神の前に正しく、神に喜ばれる者になる事はできない。

主にきれいにして頂く事が、最も大切な事である。主に罪を潔めて頂いたので、神の前に正しい者と言えるのである。

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主は、…ご自身を、私達の罪のために、お捨てに
なりました。      (ガラテヤ1-4)
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