聖書と共に

善人なおもて往生をとぐ

親鸞の歎異抄に、有名な
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
と言う言葉があります。

聖書では、「義人はいない。一人もいない」
(詩編14篇のダビデの詩)と同じです。

1206年 親鸞が法然の弟子達380人に対して他力本願のテストを行う。
「信心のみで救われると思う人は右の座へ」
「信心以外にも、修業も必要と思う人は左座へ」
結果は、信心のみでの座は2名だけだった。
そこへ、遅れて熊谷次郎直実がやって来て、
「親鸞殿、これは何事でござるか」と尋ねる。
親鸞は直実に事の次第を話すと
直実は、すぐ理解し、ドッカリと右座に座った。

直実は、武士として多くの人の首をかいてきた。
特に一ノ谷の合戦では平敦盛(16才)も殺した。
こんな私が、修業したから救われるとは思わない。ただただ阿弥陀の本願にすがるしかないと
言った。

これは聖書では、かつて多くのキリスト者を迫害したパウロの手紙の「信仰義人」と同じです。
「しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも
律法と預言とによって証されて現された。それは
イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものです。
そこには、なんらの差別もない。……彼らは価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスにある
贖(あがな)いによって義とされるのです。」
        (ローマ人への手紙3章21~)

阿弥陀の本願は、あるかどうか?
イエス・キリストは、明らかに十字架に付けられました。
極楽はあるかどうか?
天の御国は、イエス様が延べ伝えた所であり、今も、イエス様は生きておられる。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る