「荒野と乾いた地とは楽しみ盛んに花咲き
かつ、喜び楽しみ、かつ歌う
神は来て、あなた方を救われる
その時、目の見えない者の目は開き
耳の聞こえない者の耳は開く
足のなえた者は鹿の様に飛び走り
口のきけない者の舌は喜び歌う
荒野に水が湧き出で
砂漠に河が流れるからである
そこに大路があり
その道は聖なる道と、となえられる
汚れた者は、これを通り過ぎる事はでき
ない
ただあがなわれた者のみ、そこを歩む」
ここから「旧約聖書1日1章」(榎本保郎)
からです。
「ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む
と記されている。
「ただ、正しい者だけが、そこを歩む」
とは書いていない。
大事な事は、私達があがないを受けている
か、どうかである。私達がなぜ、イエス・
キリストを誇り、救いを求めるかと言うと
私の罪をあがなって下さったからである。
クリスチャンだと言って、信仰を持ってい
ても、別にたいした事もない人間と、
信仰は無いが、立派な行いをしている人間
と、どっちが偉いのかと、聞く人があるが
それは、あがないという事を知らないでの
である。
あがないを受けていない人間は、皆同じで
ある。
人間にとって、一番誇るべき事は神の
あがないにあずかっている事である。
一人の人が生命の代価を払って、買い取っ
て下さったのである。神の子が命を捨てて
あがないとって下さった信仰の喜びを、
感謝して行きたいものである。
「あなたは、ほふられ、その血をもて、
…人々をあがない、神の為に買われた」
(黙示録5-9)