故蔦田二雄先生の「岩から出る蜜」からご紹介
します。
私たちは、聖書を詠むのも、忙しく、それを
黙想して、反芻(はんすう)する時間がない、と
言う様な生活にならないように警戒しなければ
ならない。
住み家。黙想すると、聖書中、最も大きな
神秘である。心中におられる神を、現実的に
納得したならば、どの様な変化があるだろう
か。
「この奥義とは、あなた方の中におられるキリ
スト、栄光の望みの事です。」 (コロサイ1-27)
と記されているが、キリストの権能、知恵、
すべての徳を合わせて考える事ができるであろ
う。
「中に」とは、位置だけの問題ではなく、人格
と人格の交渉である。この納得、この思い巡ら
しが慰安、喜悦の源泉となる。
更に、今一つの神秘は、この神秘を私たちの
日常生活に具体化してくださる為に、聖霊が
側近者として、添い続けて下さる事である。
三位の神が一つとなって、業をなさるのである
。人の知らない喜びは、この様な恵みが聖霊に
よって自覚させられるからである。それ例外に
は求められない。十字架のご宝血をあがめよう
。
「私は…心砕かれて、へりくだった人と共に
住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた
人の心を生かす為である」 (イザヤ57-15)
インマヌエル讃美歌 405番
「み位いをも、み冠を、捨てて降りましし
栄えの主を、宿しまつる所なかりき
ああ、主イエスよ来ませ、わが心の中に
ああ主イエスよ、来ませ、ここに汝が
み座あり」