パウロたちは、キプロス島を出て、対岸の
トルコへ行った。しかし、助手のヨハネは
ここから、エルサレムへ帰って行った。
この所をバックストンは「使途行伝講義」
で次の様に言っています。
「ヨハネ(マルコ)はエルサレムの祈りの家の
息子でした。(使徒12-12)又、バルナバの
いとこでした。ですから福音について知識が
ありましたが、その恵みの経験は主により
受けたものではなく、受け売りのものだった
のでしょう。こういう困難に遇う事に耐える
事ができるのは、主より直接に恵みを得た者
だけです。
ヨハネ(マルコ)は、この時堕落したのではあ
りません。自分の信仰の浅い事、又、恵みに
浅い事を認めました。私達も、恵みに満ちた
集会に出た時に、自分も大きな恵みを受け、
信仰に進んだと思います。けれども、神様
に追い出されて、寂しい所へ行き、そこで
自分の魂の様子や、信仰の状態を示される
事があります。それを知って、神様に真の
恵みを求める事が出来るのです。」
パウロとバルナバはピシデアのアンテオケ
に行き、(元、彼らがいた教会はシリアの
アンテオケ教会で、今回、訪問したのは
トルコのユダヤ教の会堂です)
安息日に会堂に入って席に着いた。律法と
預言書の朗読があった後、「兄弟たちよ、
もし、、あなた方のうちに、何か奨励の言葉
がありましたら、お話し下さい。」と言われ
た。そこでパウロは立ち上がり長い話をし
ます。
ここから松木裕三著「静まりと黙想の朝に」
からです。
会堂にはユダヤ人がいるので、聖書から
話をする事ができた。パウロは旧約聖書から
救いの神を語った。すなわち
① 神はその民を選び
② エジプトの奴隷の身分から救い
③ 荒野で民を、育み
④ 王を与え、約束に従って救い主イエスを
お送りになった。
これは、旧約聖書の主要な部分をまとめたの
である。
この様な話がユダヤ人の興味を引いた。
ユダヤ人にとって、聖書とは、律法の書で
ある。
安息日に関する律法、食物に関する律法など
彼らの生活の基本となるものであった。
(あれを食べてはいけない、これをしては
いけない)
しかし、パウロは聖書は救いを与え、命に満
たす、約束の書である、と語る。その1部
「兄弟たちよ、この事を承知しておくが良い
。このイエスによる罪のゆるしの福音が、
今や、あなた方に宣べ伝えあれている。
そして、モーセの律法では義とされなかった
全ての事についても、信じる者は、もれなく
、イエスによって義とされるのである。」
二人が会堂を出る時、人々は次の安息日にも
これと同じ話をしてくれる様に、しきりに
願った。