聖書と共に

聖霊

先の戦争中、キリスト教会の中でホーリネス系の
教会は弾圧を受けました。「天皇を神としない」として牧師が刑務所へ送られました。その中に、
蔦田二雄先生もおられ、2年間、巣鴨刑務所におられました。その先生が書かれた「岩から出る蜜」からの文を紹介致します。

神の御用、神の目的を果たすためには、恵みがどれほど必要であるか、測り知れない。
天賦の才能よりも「聖霊(恵み)に満たされる事」が大切である。その人は、神の御前が喜びとなり、神の御旨に従う事が喜びとなり、神と喜びによって、つながる者となる。
又、「恵みに満ちた人」は、自分の非を諭された時、直ちに砕かれる心の人を言う。その時の痛みが神への叫びとなる。
恵みの霊は、恵みを与えると同時に、祈りに導くものである。

この様な聖霊の働きがある所に、リバイバルが起こされる。
聖霊と歩調を合わせた歩みがなされていると、
自分の足りなさと、キリストの充全さに、バランスがとれるのである。(5月13日の抜粋)
   *****
「地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に、かすかな細い声があった」(第一列王記19ー12)

とかく人は外形で、その働きを決め易い。
火の勢い、例えば、人が、どれくらい集まったか等である。しかし、その中に神の声があったか、
どうかこそが問題である。
私達は聖霊の御声をどこで聞いているだろうか。
聖霊は、しばしば期待していない時、所、方法で
語って下さる。後ろで語られる聖霊の御声を聞き分ける事ができる様でありたいものである。
以下の事は、御霊の声を妨げる。

1、自負心ーむしろ失望しているくらいが良い。
2、にぎやかさー御声を消してしまう。
3、不注意ー耳さとくあらなければならない。

ささやきの中に大事な事があり、隠れた事が語られるものである。   (5月23日の抜粋)


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