メシア ;ヘブル語の「救い主」
メサイア ;英語の「救い主」
旧約聖書には「救い主」の預言があります。
「その日、エッサイ(ダビデ王の父親)の根が立って、諸々の民の旗となり、諸々の国人は、これに
尋ね求め、その置かれる所に栄光がある。」
(イザヤ11ー10)
マタイの福音者では、その最初にアブラハムの子
、ダビデの子、イエス・キリストの系図があります。ユダヤ人は系図をとても大切にしていました
。
ベツレヘムはダビデの生まれた町。イエス様の父親のヨセフはダビデの末裔にあたりイエス様も
ベツレヘムでロバの飼い葉桶で生まれました。
当時の盲人バルテマイもイエス様を「ダビデの子!イエスよ、私を哀れんで下さい」と叫びます。すると目が見える様になりました。
(マルコ11ー47)
エルサレムにロバに乗って入城される時、群衆は
「ダビデの子に、ホサナ(どうか、私を救って下さい)」と叫びました。
黙示録には「長老に一人が私に言った。「泣くな
見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝である方が、勝利を得たので、その巻物を開き7つの封印を解く
ことができる」 (黙示録5ー5)
しかし世の末になると、「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても
それを信じるな。 (マタイ24-23)
旧統一教会の文鮮明はダビデ末裔ではなくキリストではありません。その奥さん、あの婆さんも、推して知るべし。
エホバの証人のエホバもダビデの末裔ではない。
そもそも、私達はイエス様の十字架を経由しなければ、父なる神に受け入れられません。
『蛭には、二人の娘がいて、
「くれろ、くれろ」と言う。
飽くことを知らないものが、3つある。
いや、4つあって「もう十分だ」と言わない』
(箴言30ー15)
献金、献金と言って飽くことを知らない。