聖書と共に

信じる、信じない

ヨハネ福音書8章の中盤から後半は主イエス
ユダヤ人の討論です。バックストンの講義。

①あなた方は私を捜すが、見つからない。
「私は呼んだのに、あなたがたは拒んだ。
私は手を差し伸べたが、省みる者はない。…
その時、彼らは私を呼ぶが、私は答えない
私を捜し求めるが、彼らは私を見つけることが
できない。」       (箴言1-24、28)

これは父なる神の言葉です。主は、自分は父な
る神と等しくあるという事をお示しになります
あなたがたは人の子を拒んで十字架に付けた
すなわち、完全に救い主を断った後に、これは
救い主であると知るようになるが、その時には
もはや救いを得るには遅い。主は、そうおっし
ゃいました。今日も同じ事です。

②信じる留まる。
 私達は生まれ変わった初めの時、主は、私の
罪のために死んで下さったと、わかりました。
私達は、その事に留まらなければなりません。
その事に、留まらなければ、疑いや恐れが起こ
って来ます。信仰が動揺します。

道に留まるとは、絶え間なく、主は、私のため
に死んで下さったと、心に留める事です。
 私達が主に潔い心を求めて、これを受けたな
らば、キリストの血が、全ての罪から自分を
潔めて下さったという、道に留まる。その言葉
を心の中に保たねばなりません。

③奴隷と自由
 ユダヤ人は、自分が罪人である事を認めてい
ます。けれども罪の奴隷である事は認めません
 人間は、たいてい自分が罪人である事は認め
ます。しかし、罪が、その主人となっている事
、又、その為に自由な生涯を送る事が出来ない
という事実を拒みます。

むしろ「決して誰の奴隷になった事もありません」と言います。しかし、救いを得たいと願う
なら自分が罪人である事、更に謙遜に、自分が
罪の奴隷である事、すなわち、罪が自分の主人
である事を認めなければなりません。

④悪魔と主イエス
 悪魔と主を比べて見て下さい。
主は、真理です。悪魔は偽る者です。
主は真理の種を与え、悪魔は偽りの種を与える
主は、命を与えて、悪魔は死を与える。
主は、愛を与えて、悪魔は憎しみを与える。

悪魔と主イエス、私達は、いずれを選ぶでしょ
うか。
「この世の神が不信者の思いをくらませて、
神のかたちであるキリストの栄光にかかわる
福音の光を輝かせない様にしている」
             (第2コリント4-4)
ユダヤ人は、この様に、悪魔によって、心を
くらまされた者です。ですから、偽りが真理で
真理が偽りであると信じました。

「神から来た者は、神の言葉に聞き従うが、
あなたがたが聞き従わないのは、神から来た
者ではないからです。」 (ヨハネ8-47)

私達が真実に生まれ変わったか、否か、を知り
たければ、この節によって確認する事ができま
す。
神の子供は神の言葉を聞きます。その人は喜ん
で神の真理を受け入れます。喜んで聖書を受け
入れます。又、心の中で、これは神の御声で
ある事を知ります。
 
 


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