聖書と共に

天からの生けるパン

今日も「ヨハネ福音書講義」(バックストン)か
ら抜粋しご紹介します。
「私は天から下って来た生けるパンです。誰で
も、このパンを食べるなら、永遠に生きます」

 主の肉と血を食べるとは偉大な奥義です。
そこで、肉に属する考えで理解しようとすると
、その意味を損なってしまいます。
乳飲み子は、いつも母の肉と血を食べます。
その事を深く考えてみると、この奥義が明快な
説明となるでしょう。乳飲み子の飲む乳は、母
の肉と血が原料です。
 
 枝は木の肉と血(樹液)を得ます。木の性質を
食べます。木は自分の命と性質を出して枝を養
います。
私達の食物は何かと言うと、主イエスご自身で
す。主イエスご自身の肉と血を信仰によって
受け入れます。
神の御子はご自身を与えて、私達の食物となっ
て下さいました。ちょうど、乳が乳飲み子を
養うのに適当な食物である様に、主は私達の
要を満たすものとなって下さいました。
主にあって私達の霊が養われ、健やかになり、
次第に聖なるものになります。

 私達が主の肉と血を食べるなら、それは次第
に私達の肉と血になります。自分の命、自分の
性質、自分の力、自分のすべてのものとなりま
す。私たちは、もがかなくても、肉となり、毛
となり、神経となります。

 体の運動、体の性質に従って、一つの食物は
自然に身体の全部を養っていきます。
ちょうど、その様に、主の肉と血を食べるなら
私達の心も霊も全体に養われます。心の愛と、
喜びが養われます。

心の目が養われ、見る事が明瞭になります。
あるいは、耳が養われて、心の中で神の声を聞
く事ができます。ただ主を受け入れるならば、
そのように全霊が養われます。

 主の肉をと血を食べるなら、二つの大きな
結果があります。第一は死ぬ事です。第二は生
きる事です。
創世記3章は、ちょうど、その正反対です。
エバは悪魔の偽りを受け入れました。その結果
として人間は神に対して死にました。神の命を
失いました。それと同時に生の結果もありまし
た。人間は悪魔の命を得ました。

 いま私達が主の肉と血を食べるなら、その結
果はちょうど、正反対です。それによって悪魔
の命を失います。これは死です。そして神の命
を得ます。これは生です。

「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命
を持っています。」とは生まれ変わる事です。
その養いを受け入れた結果は
「私の内に留まり、私も彼の内に留まります
です。ですから主を食べると、永遠の命を得ま
す。けれども、その命は養われなければなりま
せん。養われるとは、主の内にいる事です。
主が私達の内におられる事です。自然に主に養
われ、自然に成長します。

 身体はどの様にして生きるのか、どの様に
養われるのか、わかりません。まして霊の命と
その養いが分かる者はいません。
けれども、その養いは天より降るパンによらな
ければなりません。この地上の身体を養う食物
は地上から生じる食物です。
天に属する命を養う食物は、天に属するもので
す。

私達は神学や、真理と呼ばれるもので霊を養う
事はできません。神の御子イエスを受け入れな
ければなりません。主イエスは、その為に天よ
り降って下さいました。又、その為に十字架の
苦しみを受けて下さいました。

 それを聞いた人々は、その言葉を受け入れた
でしょうか。いや、そうはせず、かえって
「これはひどい言葉だ。こんな事を誰が聞いて
おられようか」と言っています。

民数記21-5にも同じ事を見ます。
神はイスラエル人を顧みて、毎日天からの食物
を降らせて下さいました。けれどもイスラエル
人は神の愛を軽視し、
「私達は、このみじめな食物に飽き飽きした」
と言って、その生けるパンを軽んじました。
神はイスラエル人に最上の賜物を与えて下さい
ました。けれども、これを軽んじました。

兄弟姉妹よ、私達はどうでしょう。
ユダヤ人の様にせずに、神に感謝し、ひざまず
いて、それを受け入れたいものです。







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