見て、ピリポに言われた。『我らは、どこから
パンを買って、この人々に食べさせるべきか』
ピリポは答えて言った。『200デナリ(200日分
の労賃)のパンがあっても、なお足りません』
もう一人の弟子のアンデレが言った『ここに
一人の少年がいます。大麦のパン5つと、
小さな魚2匹を持っていますが、何の足しに
なりましょう』
イエスは言われた。『人々を座らせなさい』
その群衆は5000人だった。イエスはパンを取
って感謝し、座っている人々に弟子たちを通し
て与えられた。魚も同様にされ、、人々が欲す
るまま、与えられた。人々が飽きた後に、弟子
達に、その余りを集める様に指示され、余った
パンと魚は12のかごにいっぱいだった。」
今日も、「ヨハネの福音書講義」(バックストン)か
ら、ご紹介します。
アンデレの心の中にに小さな、まことの信仰
があったと思います。その信仰の種子に導かれ
て主は、この奇蹟を行われました。わたしたち
の心の中に、からし種ほどの信仰があるなら、
主は、それによってお働きになる事ができます
。
この少年は、喜んで、主のために自分の弁当
をささげました。この小さく、かぐわしい犠牲
をもって、多くの人を満足させたのです。
主は、銀200枚分のパンが無くても5つの小さ
いパンがあれば、多くの人を満足をさせる事が
おできになります。
目に見える大きな業を求める必要はありませ
ん。持ち合わせの物で良いのです。この様に
自分の持っている物をもって、多くの人を満足
させたいと願うならば、主のそばに、いなけれ
ばなりません。
弟子たちは、主の手から少しのパンを受けた
でしょう。ほんの、わずかなパンを持って人々
の元に行きました。けれども、信仰をもって
行ったので、それを配った時には、更に多く
なりました。
主は、わずかのパンを弟子に与えられます。
けれども、それを配るごとに、それが多くなり
ます。ただ与えられたパンを心の中に蓄えて置
くならば、それは、小さくなってしまいます。
この少年の心をもって、多くの人たちに与えよ
うと思い、それを配るならば、そのパンは大き
くなっていきます。
主なる神が荒野でイスラエル人を満足させて
下さった様に、今、主は荒野で飢えている人た
ちを満足させる事によって、ご自分が主である
事をお示しになります。私達が主を待ち望む
ならば、毎日、天のパンを頂く事が出来ます。
ある人々は、主を捨てて、この世の荒野で
満足を得ようとします。あるいは財宝、あるい
は名誉、あるいは快楽。しかし、それで満足
する事は決して出来ません。