聖書と共に

朝の祈り ①神の確認

今日は「朝ごとに主を待ち望む」(蔦田二雄
述)より、抜粋しご紹介します。

密室を守る方法の示唆
①神の確認
 この事は、密室の際に多くの方に、あまり
大切でないと思われている問題です。

「神様と目と目を合わせる」その焦点、ピント
が合っていない間は、お祈りはつながっていな
いのだという事を、良く承知していなければ
なりません。クラッチやギアが、しっかりと
入っていないままで、アクセルをふかす様な
りは心身共に、ただ騒音を立てるだけです。

 神様との、いさかい無しに、「目覚める時、
あなたの御姿に満ち足りるでしょう」の様に
直ぐに、魂のピントが合っていれば、神様と
交渉は、時間がかからずに開始されるのです。

何か引っかかる時には、これは骨がおれます。
いくら、神様を承認、確認しようと思っても、
こちらが許しません。ぎこちない不自然さが
てき、神様と私は一つである事を考える事は
可能であっても、それは全人格的な、うなずき
になりません。

「あなたは私の心を調べ、夜、私を問いたださ
ました。あなたは私を試されましたが何も
見つけ出されません」(詩編17)この様に、耐え
自らをさらす事です。
 いつでも、神様と私の心の一致に基本的な
いがないように、心の状態を保ち続ける事は
大切な事です。

 最初は、これにずいぶん時間がかかるかも知
れません。そこにしっかりと基礎を据えて、
ったならば直ちに御顔を仰ぐ事ができます。
「御霊の満ちたる心の中に、主はその御顔を
写したもうなり」。そうした霊的状態を維持す
る事。これが標準ではないでしょうか。

 どの様な神であるか、まずイエス・キリスト
の父なる御方である。それが第一です。
お願いする事や、尋ねる事は、大騒ぎしなくて
も大丈夫です。イエス・キリストによって神と
私達が、どの様な関係にされたかを確認しない
で祈るから、一生懸命であっても無駄な時間を
始める事になり、あまり答えられない結果に
終わるのです。第一の部分が故障しているから
です。

「もし私の心に抱く不義があるなら、主は聞き
入れて下さらない。」神様の前に心に責められ
る所がないならば「確かに、神は聞き入れ
私の祈りの声を心に留められた」と言われて
いる事を、うなずく事ができます。

 注意する事として
私達は父なる神の前に座っています。キリスト
の故に、そうした立場を与えられているから
そ、神様の前に座る事が出来るのです。
そして、意識を越えた聖霊の媒介が、そこに
あるからこそ、生命的な交流が実際的なもので
あり得るのです。

ですから、単なる静かな所で座禅を組んで瞑想
する様な事と、はっきり区別しなければなりま
せん。特に東洋人は、そうした世界の区別が
つかない危険があります。
どこまでも贖罪に立脚した魂の営みでなければ
なりません。

なお ②みことば、③祈り、④計画の決定


 
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