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2011-06-13 20:49:17 | 日記

バランス崩し転倒の自転車女性、はねられ死亡(読売新聞) - goo ニュース

 この事故のニュースでは詳しい状況が今ひとつはっきりしないが,「バランスを崩した」というのは,ちょっとした障害物に乗り上げたか,タイヤをとられたかしたのも原因として考えられる.

 自転車は車道の左側通行が建前の筈であるが,実際に走ってみれば舗装の破損に加えてあらゆる異物の吹き溜まりとなっている.何年か前のある雨の夕闇の中,自転車の走るべき部分に自動車のタイヤが落ちていたのを見つけたことがあった.もしここへ自転車で走って来て気づくのが遅れたら……今思い出してもゾッとする.

 四輪車にとっては何ともない,例えばほんの小さな路面の傷み,穴,段差等であっても自転車はこれらに非常に弱い.そういう物を避けようとすれば,今度は後ろから来る自動車にはねられる.そのドライバーに言わせれば,「自転車はまるで交通道徳がなっていない」となる.

 しかし自転車愛用者として言うならば,車道にも自転車にとって十分に安全が確保されるスペースがあるわけでは決してない.歩道でなく車道を走れというなら,行政は地域間交通における自転車の機能,健康増進,社会教育上の効用を正当に評価し,きちんと責任を持って斯くのごとき劣悪な道路環境を改め,幅が3m以上もある歩道は直ぐにでも1mを削って,車道側も50cmを割いて幅1.5m程度の自転車専用レーンの整備を進めるべきである.

 私は自転車で急ぐ時は,極力車道の左側通行を貫くことにしている.たとえ事故の被害者になっても,加害者には絶対になりたくないからである.


責任を全て自転車に負わせるな

2011-06-12 17:48:59 | 日記

危ない自転車 「車道走行が原則」を忘れずに(読売新聞) - goo ニュース

 自転車の事故,それも自転車が加害者となる事故が後を断たないとは,一サイクリストとしてただただ苦々しく,嘆かわしい限りである.2011年5月20日(金)午前8時15分頃,長野市の昭和通りと長野大通りの交差点北東の歩道上でも自転車と歩行者の事故があった由.実際に自分の住む地元でこういう実例が存在するとなると,深刻さを考えさせられる.

 勿論,正しい交通ルール・交通道徳に全く関心を持っていない自転車の乗り手にも大いに責任はある.しかしこの問題の最大の根源は,ただ苦痛で非能率なだけの自転車しか知らず,あらゆる自転車を1台残らず路上から抹殺することが経済大国の実力の証明と信じているかのように,多くの自転車愛用者の意見にまともに取り合おうとせず,当然の如くに危険や不自由を一方的に自転車にしわ寄せする道路政策の長年の無為無策にある.

 それに,スポーツ系自転車の乗り方・走り方,組み立て・整備等のコーチやメカニックのできる人材の十分な育成をしないまま,数十年前のサイクリング人気も約20年前のMTB人気もものにできず,安易な増収に利用しようとして失敗し(?),以来,かなり上質な優等スポーツ系自転車さえ台湾製に押され,一・二の優良ブランドを除いては不採算で不振をかこっている日本のダメチャリ業界,特に旧態依然の因業な小売店にもかなりの責任はあろう.

 解決策の①番目は,歩行者と自転車の通行区分の完全分離の徹底である.あまり広くもない歩道もだが,必要以上に広い歩道で「歩行者優先」のルールを押し付けること自体が問題なのである.何故,最初から明確に一線を画した構造にしようとしなかったのか.これでは自転車の機能が殺されてしまって,間に合う所も間に合わなくなる.

 ジョギングやウオーキングより広範囲を短時間で効率的に移動できればこその自転車である.中でも自転車の進路上に点字ブロックを敷くなど,愚の骨頂以外の何物でもない.歩道側を1m,車道側を50cm折半すれば,十分安全な自転車専用レーンの整備は容易な筈の幹線道路がかなりあると思われる.それでこそ,歩行者と自転車との軋轢はかなり解消できるだろう.

 ②番目は,自転車教育のドラスチックな改革である.極端な話,キャッチボールなんかできなくてもそれで誰かの命が失われることはないが,自転車に関する間違いは,それこそ,自分のみならず他人の命にも係わる重大な問題である.学校内にせよ外部にせよ,本来どちらの指導に重点を置くべきかは明白であろう.

 現在の高校では,事故・非行・学力低下,それに賠償責任云々……を理由に,主に全日制で二輪・原付等は免許取得からして一切全面禁止という学校が多くなっているが,その裏で,賠償責任保険制度の整備が不十分な自転車の事故の対策が恐ろしいほどお座なりになっていたのではないか.特に加害者の学年が低いほど解決は困難になることが多いだろう.

 だからこそ,より速く,より遠く,より高くへ子供たちの夢を繋いで伸ばす,苦労の先に感動があるスポーツ自転車の素晴らしさ,奥深さを体感させつつ,自分と周囲の他人との安全を守る道徳心の向上を両立させる自転車教育の改革――要するに,成長段階に応じて1日50kmでも100kmでも200kmでも楽しく,かつ安全を第一に完走するための知識の学習と,危険の予測と回避を含む乗り方のトレーニングが絶対必要である.ちょい乗りの手軽な足――という低レベルな意識のままでは,いつまで経っても自転車乗りのモラルの向上は望むべくもない.

 

 

 


 自転車を指して,中京地方では「ケッタ」

2011-06-04 19:31:20 | 日記

えっ! これ方言!?(COBS ONLINE) - goo ニュース

 中京地方で自転車を「ケッタ」と称するのは,約30年前の月刊「サイクルスポーツ」誌の中の読者投稿ページ『サイクル日記』で知った.一般には何十年も前から,ヤング層の間で自転車は「チャリンコ」あるいは「ジテ公」と称されることが多いようである.私もつい,それをさらに転化させ「チャリゴ」と称することもある.

 自転車を「ケッタ」というと,いかにもお手軽なちょい乗りの足,「つっかけ草履」感覚で,その低レベルからまるで脱却できないイメージになってしまう.それといい,「チャリンコ」といい,いずれにしても熱心な自転車愛好者(サイクリスト)としてはあまり好ましいとはいえない呼称である.


旅をするならやっぱりサイクリングだ

2011-06-03 09:16:08 | 日記

一人旅をする理由は? 期間は?? - JTB調べ(マイコミジャーナル) - goo ニュース

 自分の関心事,研究テーマを追求する旅――それなら特に,高性能スポーツ系自転車で行くのがいい.野を越え山を越え町から村,村から町を訪ねてそこから得られるより広域的な郷土の自然,地理,歴史その他に関する知識,その旅そのものを完走した時の独特な達成感…….それらが明日を生きる力,“心の財産”となってゆく.中でもその土地・その場所にしかない貴重な野生植物との対面を,愛用の自転車に乗って行って果たしたときの感動は格別のものがある.

 ジョギングやウオーキングで移動できる距離なんて知れている.しかし自転車は整備状態の良好な軽量・高性能スポーツ系の車種を使用すれば,例えば全行程の高低差約1700m,標高2100m余りの峠越えを含む1日230km余りの距離を走り抜くことも年齢50歳を越えた私自身の最近の体験上,たとえフルマラソンを完走できる体力的な見込みがなくとも可能であると実証できている(無論,体力があればあるほど安全のためにもより望ましいのは当たり前だが).

 これが,「自転車は,古来今日までに人類が発明した最も効率的な乗り物」と称される所以である.勿論その時の目的等にもよるから,いつでも,どこまでも自転車というわけにはいかない.しかし,心身を鍛えつつ智的で創造的なサイクリング旅行の教育的な意義と効用がもっと積極的に評価されても良いと考えるのは私ばかりではあるまい.

 一人旅のサイクリングもまんざら悪くはない.それでもソロの無聊をかこつよりも2人,さらに皆で走ればなおなお楽しい旅路となるのだが…….それが叶わぬなら,せめて出会ったサイクリストとは明るく挨拶を交わしたいものである.