批評
☆演劇
・韓国ハクチョン「地下鉄1号線」(NHK教育、芸術劇場)、140分
ドサグレ人生にも救いはあることを、歌入り、エレキバンドの生演奏付きで示す。ドサグレて社会を斜に構えて見るのは当然かと思っていたら、けっこう公平に見る方たちが多いことに驚いた。ソウルという大都会の中で、欲求不満を抱えつつもうごめく人々の思い、孤独感、憂鬱感を描く。歌も気に入った。
・S.ベケット『ゴドーを待ちながら』 緒方拳、串田和美(NHK教育)
人生というひまつぶしを軽く笑わせ、でも深刻な一面をちらっと見せることもできている。救いのない人間の状況をとりとめのないおしゃべりとけったいな行動で提示していく。そしてこの存在自体があるのかないのかさえもあやふやなことをさらりとあらわす。ゴドーGODOHはGODを意味するとも考えられるらしい。来ない神の救いを待つ人間ですかな。神無き実存主義。
・『シラノ・ド・ベルジュラック』エドモン・ロスタン原作、鈴木忠志演出(NHK教育)
鈴木流様式美といったものがある。役者の肉体の動かし方、台詞のしゃべらせ方に一種独特のものがある。批判もあるようだが、これはこれで美しい。
日本平芸術劇場総監督でもあり、グランシップともかかわりが深く、静岡での演劇や文化の育成にビジョンをもっているようだ。
・迷宮オペラ『青ひげ公の城』作:寺山修二(NHK教育)
殺人事件か妄想か入り組んだ事情は何が現実で何がフィクションなのか舞台設定はいったい何がどうなっているやら、現実と虚構、いや虚構と虚構、現実と現実、いや妄想と妄想か、何が何やら、はちゃめちゃ? いや筋は通っている? はらはらしつつ仮面を幾重にもはがすようにして見てしまう。さすが寺山。
・『アメリカ(失踪者)』原作:フランツ・カフカ 作、演出:松本修(NHK教育)
一見ドタバタ風に描きつつ、視覚化しにくい迷宮のような社会を舞台化したものだ。ちょっと物足りなさも感じるが。
・『メルセデスさんの人形劇』メルセデス・ピュジョール、10年4月29日、重症心身障害児施設つばさ、
森のなかまたちによるリコーダー演奏、
「ウ・エ・マ・マン? おかあさんはどこ?」、三角や四角等いろんな形の仲間やらなにやらの中から、小鳥がお母さんを探していくのだ。ちょいとユーモラスでカラフルで、同じ形の分類分けみたいな知的遊戯のような、言葉は通じなくても万国共通のような母探しは楽しそう。そしてみんな仲良しになってほしいという願いもあるような。
プロデュースする森さんたちは前回前衛的なダンサーを招いたが今回は障害児や子供たちに親しめる児童用パフォーマンスを提供したようだ。子供だけでなく大人も楽しめる存在とかかわりのパフォーマンスだ。
・TV、劇場中継「ふるあめりかに袖はぬらさじ」斎藤雅文:演出、坂東玉三郎、檀れい、松田悟志、団時朗、180分、’13 1/3
檀れいの演ずる薄幸さが既に人妻としての女の清廉だがほのかな色気を醸しだしぞくぞくする。これは小娘では出ない。玉三郎は始めどこかにくにくしげなイヤミっぽい役だが、実は周囲をいろいろ気にかける優しさと周囲の男達に支配される中で嫌でも生きていかざるを得ない女の哀れさを見事ににじませていた。
・NHK-BS3-TV、シアター中継、シス・カンパニー公演「三人姉妹、チェーホフ」KERA:演出、余貴美子、宮沢りえ、蒼井優、堤真一、段田安則、160分、’15 1~2月?
’15 8/22
今回初めてチェーホフに共感した。戯曲内容を解説したものはあり、読んではいたが、でも何が面白いのか?であった。しかしその退屈さ、アンニュイ、メランコリー、生きがいのなさ、夢や野心は破れるためにあるかのような人生、とりとめのないおしゃべり、これといったことが起きないアンチドラマ:盛り上がりがないこと、特定のヒーローやヒロインはいない、没落していく上流階級、これから何かをしなければいけないのに、決して希望には満ちてはいず、つらいことばかりなのは分かっているのに、という雰囲気。でもそうです。この雰囲気はあえてチェーホフが必要としたからあるのです。退屈でつまらなく体裁ばかり取り繕い、うわべだけのことばかりしゃべりながらも、時々人生の本音のセリフと、セリフとして言わないが表情やしぐさで見せるものがある。そこにつらい人生に傷つきながらも何かを信じてあるいは何かに縋りつくようにして耐えて忍んで生きていくしかないのだ。不条理で不幸ばかりの人生に対し、死なない限りは耐えて生きていくしかないことを引き受けざるを得ないでくの坊ばかりの人間たち。ラストはつらい希望表明なのだ。人生は不幸だ、でも生きていくしかないだろう、といいたげに。
・NHK-BS3-TV、シアター中継「わたしの星」柴幸男:演出、劇団ままごと、オーディションで選ばれた高校生、女子9名、男子1名、90分、’15 1~2月?
’15 8/23
地球は温暖化でもう住めなくなる寸前、ほとんどの人々は火星に移住しかかっている状態で、地球で少数残っている子たちのための唯一の高校での文化祭練習中という設定。一人の子が火星から転校してくるというありえないことが起きる。そして明日火星に転校するが同級生に言えない子。さてどうなるやら。
彼らの歌と踊り、しゃべりは何のためにあるのか、彼らはそれでもやるのか、転校生とのかかわりは? 彼らの人間関係はどうなるのか、彼らはどう向き合うのか? 全身でエネルギーを発散させ、何か熱い思いをしゃべり動き回る。好感。
・「学芸会レーベル」劇団4ドル50セント×柿食う客コラボ公演、1:31‘15“ ’20 5/8
99%エンターテインメントだが、終盤近く何でこんな脚本書いたんやろと気づく場面があり、そうすると、感動というか、笑いに紛らしながらも、チョイと感動ポイ気分が味わえて、情動が複層化して、見ている気分に厚みが増せてよかった。おそらく演劇論というか、人はなぜ演技するのかという思いがあって、こんなへんてこな脚本が成立するのだろう。かといって難しいことは抜きでよい。ひたすら早口喋りのヒートアップハイテンションシアターにどっぷり浸って楽しめばよいのだと思う。現代演劇も能も歌舞伎もモダンダンスも学芸会もすべて演じるということで共通項がある。
この劇団は秋元康プロデュースで5000人のオーディションの中から選ばれたようだ。いったん大量に男性メンバーが退団したようだが、何とか公演ができてよかったようだ。がんばれ。
You tube 広告動画で全編視聴
・「アセリ教育」劇団4ドル50セント×柿食う客コラボ公演、1:18‘13 ’20 5/7
エンターテインメントで超早口言葉でしゃべりまくりハイテンションヒートアップ舞台のライヴをyou tube 広告動画で全編視聴。ガンガンいきまくっているパワー、突っ走る爽快感、早口まくしたてで軟調気味の私にはちょいと聞き取れないセリフ多数だが、なんかエネルギーが移ってきて見ていられる気分。
☆☆芸能☆☆
☆ライヴ
・大道芸ワールド・カップin静岡 例年11月第1周週末
静岡市で多額の予算を掛け実施することに否定的な意見もあるが、アカデミックなイベントより、子供から大人まで誰もが楽しめ、市民全体に返せる行事である。普段これだけの量と質に接することの無い芸能あるいはパフォーマンスでもある。見方によれば伝統的だったり、前衛的だったりするが、それらがすべてごった煮状態で魅せてくれる。知らず知らずに伝統から前衛、マジック、スポーツ、サーカス、クラウン、ピエロ、総合芸術、大衆芸能から革新的芸術まで、なんでもござれで、自然に接することができる。芸術観、芸能観が変革されるかもしれない。クラシックな古典的イベントも大事だが、この大道芸に着目したのはすばらしい。あらたな価値観の創造である。
・杉山直「新朗読」 2012、12/19(水) 静岡インザライフ(トップセンタービル)
「星の王子様」1時間45分
本人の解説パンフでは、「新朗読」とは音楽・照明・映像を融合させ、原作を忠実に表現する朗読劇として規定している。一人芝居に近いものである。
その感情移入、臨場感は客観的朗読とは対極的である。しかし作品を生き生き蘇らす、あるいは一つの生あるものとして新たに生みだすといってもよいだろう。より生々しいドロドロした現実感のあるものとして観客は捉えることが可能になる。批判的に捉えれば杉山直作品になってしまい、原作とは同義と言えないなどとしたり顔で言われるのかもしれない。そこで杉山氏は解説パンフで「原作を忠実に表現する朗読劇」云々等と述べているのだろうが、そんなことはどうでもよいことで、新たなる生命が吹き込まれ、人間になにものかを訴えてくるものになればよいのだ。今後原作に非忠実な杉山直流の新朗読に多角化してもよいだろう。しかし今は原作を蘇らせたいという願望と制約の中で頑張りたければそれもよいでしょう。新たな文化創造を喜びます。
かなり以前に読んだ岩波版とは違う印象をもったが、言葉自体は岩波版の内藤訳を基盤にしているようだ。ラストシーンは原作と違ったものになっていて、杉山氏のアレンジだろう。すでに原作に忠実とはなっていないようですが、そのことが進化で深化の一端なのでしょう。
BGMの坂本龍一「星になった少年」というようなタイトルだと思ったのですが?、ラヴェル「ボレロ」はよい。
ちなみに作者:サン・テグジュペリは第二次大戦中地中海で偵察飛行中消息を絶ったことは知っていたが、今日、海底から彼のブレスレットや搭乗機が発見されていて、その飛行機を撃墜したというドイツ軍パイロットもいることを知った。
なおすぐに「星の王子様」の日本語訳全文を知りたければ、ネットの青空文庫で大久保訳「あのときの王子くん」で読める。挿絵は全てそのまま見られる。著作権が消滅したためである。
☆演劇
・韓国ハクチョン「地下鉄1号線」(NHK教育、芸術劇場)、140分
ドサグレ人生にも救いはあることを、歌入り、エレキバンドの生演奏付きで示す。ドサグレて社会を斜に構えて見るのは当然かと思っていたら、けっこう公平に見る方たちが多いことに驚いた。ソウルという大都会の中で、欲求不満を抱えつつもうごめく人々の思い、孤独感、憂鬱感を描く。歌も気に入った。
・S.ベケット『ゴドーを待ちながら』 緒方拳、串田和美(NHK教育)
人生というひまつぶしを軽く笑わせ、でも深刻な一面をちらっと見せることもできている。救いのない人間の状況をとりとめのないおしゃべりとけったいな行動で提示していく。そしてこの存在自体があるのかないのかさえもあやふやなことをさらりとあらわす。ゴドーGODOHはGODを意味するとも考えられるらしい。来ない神の救いを待つ人間ですかな。神無き実存主義。
・『シラノ・ド・ベルジュラック』エドモン・ロスタン原作、鈴木忠志演出(NHK教育)
鈴木流様式美といったものがある。役者の肉体の動かし方、台詞のしゃべらせ方に一種独特のものがある。批判もあるようだが、これはこれで美しい。
日本平芸術劇場総監督でもあり、グランシップともかかわりが深く、静岡での演劇や文化の育成にビジョンをもっているようだ。
・迷宮オペラ『青ひげ公の城』作:寺山修二(NHK教育)
殺人事件か妄想か入り組んだ事情は何が現実で何がフィクションなのか舞台設定はいったい何がどうなっているやら、現実と虚構、いや虚構と虚構、現実と現実、いや妄想と妄想か、何が何やら、はちゃめちゃ? いや筋は通っている? はらはらしつつ仮面を幾重にもはがすようにして見てしまう。さすが寺山。
・『アメリカ(失踪者)』原作:フランツ・カフカ 作、演出:松本修(NHK教育)
一見ドタバタ風に描きつつ、視覚化しにくい迷宮のような社会を舞台化したものだ。ちょっと物足りなさも感じるが。
・『メルセデスさんの人形劇』メルセデス・ピュジョール、10年4月29日、重症心身障害児施設つばさ、
森のなかまたちによるリコーダー演奏、
「ウ・エ・マ・マン? おかあさんはどこ?」、三角や四角等いろんな形の仲間やらなにやらの中から、小鳥がお母さんを探していくのだ。ちょいとユーモラスでカラフルで、同じ形の分類分けみたいな知的遊戯のような、言葉は通じなくても万国共通のような母探しは楽しそう。そしてみんな仲良しになってほしいという願いもあるような。
プロデュースする森さんたちは前回前衛的なダンサーを招いたが今回は障害児や子供たちに親しめる児童用パフォーマンスを提供したようだ。子供だけでなく大人も楽しめる存在とかかわりのパフォーマンスだ。
・TV、劇場中継「ふるあめりかに袖はぬらさじ」斎藤雅文:演出、坂東玉三郎、檀れい、松田悟志、団時朗、180分、’13 1/3
檀れいの演ずる薄幸さが既に人妻としての女の清廉だがほのかな色気を醸しだしぞくぞくする。これは小娘では出ない。玉三郎は始めどこかにくにくしげなイヤミっぽい役だが、実は周囲をいろいろ気にかける優しさと周囲の男達に支配される中で嫌でも生きていかざるを得ない女の哀れさを見事ににじませていた。
・NHK-BS3-TV、シアター中継、シス・カンパニー公演「三人姉妹、チェーホフ」KERA:演出、余貴美子、宮沢りえ、蒼井優、堤真一、段田安則、160分、’15 1~2月?
’15 8/22
今回初めてチェーホフに共感した。戯曲内容を解説したものはあり、読んではいたが、でも何が面白いのか?であった。しかしその退屈さ、アンニュイ、メランコリー、生きがいのなさ、夢や野心は破れるためにあるかのような人生、とりとめのないおしゃべり、これといったことが起きないアンチドラマ:盛り上がりがないこと、特定のヒーローやヒロインはいない、没落していく上流階級、これから何かをしなければいけないのに、決して希望には満ちてはいず、つらいことばかりなのは分かっているのに、という雰囲気。でもそうです。この雰囲気はあえてチェーホフが必要としたからあるのです。退屈でつまらなく体裁ばかり取り繕い、うわべだけのことばかりしゃべりながらも、時々人生の本音のセリフと、セリフとして言わないが表情やしぐさで見せるものがある。そこにつらい人生に傷つきながらも何かを信じてあるいは何かに縋りつくようにして耐えて忍んで生きていくしかないのだ。不条理で不幸ばかりの人生に対し、死なない限りは耐えて生きていくしかないことを引き受けざるを得ないでくの坊ばかりの人間たち。ラストはつらい希望表明なのだ。人生は不幸だ、でも生きていくしかないだろう、といいたげに。
・NHK-BS3-TV、シアター中継「わたしの星」柴幸男:演出、劇団ままごと、オーディションで選ばれた高校生、女子9名、男子1名、90分、’15 1~2月?
’15 8/23
地球は温暖化でもう住めなくなる寸前、ほとんどの人々は火星に移住しかかっている状態で、地球で少数残っている子たちのための唯一の高校での文化祭練習中という設定。一人の子が火星から転校してくるというありえないことが起きる。そして明日火星に転校するが同級生に言えない子。さてどうなるやら。
彼らの歌と踊り、しゃべりは何のためにあるのか、彼らはそれでもやるのか、転校生とのかかわりは? 彼らの人間関係はどうなるのか、彼らはどう向き合うのか? 全身でエネルギーを発散させ、何か熱い思いをしゃべり動き回る。好感。
・「学芸会レーベル」劇団4ドル50セント×柿食う客コラボ公演、1:31‘15“ ’20 5/8
99%エンターテインメントだが、終盤近く何でこんな脚本書いたんやろと気づく場面があり、そうすると、感動というか、笑いに紛らしながらも、チョイと感動ポイ気分が味わえて、情動が複層化して、見ている気分に厚みが増せてよかった。おそらく演劇論というか、人はなぜ演技するのかという思いがあって、こんなへんてこな脚本が成立するのだろう。かといって難しいことは抜きでよい。ひたすら早口喋りのヒートアップハイテンションシアターにどっぷり浸って楽しめばよいのだと思う。現代演劇も能も歌舞伎もモダンダンスも学芸会もすべて演じるということで共通項がある。
この劇団は秋元康プロデュースで5000人のオーディションの中から選ばれたようだ。いったん大量に男性メンバーが退団したようだが、何とか公演ができてよかったようだ。がんばれ。
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・「アセリ教育」劇団4ドル50セント×柿食う客コラボ公演、1:18‘13 ’20 5/7
エンターテインメントで超早口言葉でしゃべりまくりハイテンションヒートアップ舞台のライヴをyou tube 広告動画で全編視聴。ガンガンいきまくっているパワー、突っ走る爽快感、早口まくしたてで軟調気味の私にはちょいと聞き取れないセリフ多数だが、なんかエネルギーが移ってきて見ていられる気分。
☆☆芸能☆☆
☆ライヴ
・大道芸ワールド・カップin静岡 例年11月第1周週末
静岡市で多額の予算を掛け実施することに否定的な意見もあるが、アカデミックなイベントより、子供から大人まで誰もが楽しめ、市民全体に返せる行事である。普段これだけの量と質に接することの無い芸能あるいはパフォーマンスでもある。見方によれば伝統的だったり、前衛的だったりするが、それらがすべてごった煮状態で魅せてくれる。知らず知らずに伝統から前衛、マジック、スポーツ、サーカス、クラウン、ピエロ、総合芸術、大衆芸能から革新的芸術まで、なんでもござれで、自然に接することができる。芸術観、芸能観が変革されるかもしれない。クラシックな古典的イベントも大事だが、この大道芸に着目したのはすばらしい。あらたな価値観の創造である。
・杉山直「新朗読」 2012、12/19(水) 静岡インザライフ(トップセンタービル)
「星の王子様」1時間45分
本人の解説パンフでは、「新朗読」とは音楽・照明・映像を融合させ、原作を忠実に表現する朗読劇として規定している。一人芝居に近いものである。
その感情移入、臨場感は客観的朗読とは対極的である。しかし作品を生き生き蘇らす、あるいは一つの生あるものとして新たに生みだすといってもよいだろう。より生々しいドロドロした現実感のあるものとして観客は捉えることが可能になる。批判的に捉えれば杉山直作品になってしまい、原作とは同義と言えないなどとしたり顔で言われるのかもしれない。そこで杉山氏は解説パンフで「原作を忠実に表現する朗読劇」云々等と述べているのだろうが、そんなことはどうでもよいことで、新たなる生命が吹き込まれ、人間になにものかを訴えてくるものになればよいのだ。今後原作に非忠実な杉山直流の新朗読に多角化してもよいだろう。しかし今は原作を蘇らせたいという願望と制約の中で頑張りたければそれもよいでしょう。新たな文化創造を喜びます。
かなり以前に読んだ岩波版とは違う印象をもったが、言葉自体は岩波版の内藤訳を基盤にしているようだ。ラストシーンは原作と違ったものになっていて、杉山氏のアレンジだろう。すでに原作に忠実とはなっていないようですが、そのことが進化で深化の一端なのでしょう。
BGMの坂本龍一「星になった少年」というようなタイトルだと思ったのですが?、ラヴェル「ボレロ」はよい。
ちなみに作者:サン・テグジュペリは第二次大戦中地中海で偵察飛行中消息を絶ったことは知っていたが、今日、海底から彼のブレスレットや搭乗機が発見されていて、その飛行機を撃墜したというドイツ軍パイロットもいることを知った。
なおすぐに「星の王子様」の日本語訳全文を知りたければ、ネットの青空文庫で大久保訳「あのときの王子くん」で読める。挿絵は全てそのまま見られる。著作権が消滅したためである。
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