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シロガネの草子

「我が身をたどる姫宮」 その4 


 姫宮様は、K氏との別れを心に決めていました。何を今さら、だからK氏と、一緒になられるさい、あれだけ姫宮の行く末とK氏自身の行動にも疑問を提示し、姫宮様の為にも反対したというのに、と思う世の人達もいるでしょうが、姫宮様は例どの様な言葉でも、非難でも全あて受け入れるお覚悟を定められて、おられました。
 自分の行動が多くの人達に非難され、その一方で、それでも心配して下さる人達、それが姫宮様のご自身のお立場というのが今さらながらに身に染みて思うのでした。幼い頃より、あれだけご両親殿下からも教えを受けられたというのに・・・・・。



かの、マリー・アントワネットの名言

「人は自身が不幸になった時に初めて人は何者であるか分かるのです」

・・・・・・姫宮様はその言葉の意味が、今さらながらに理解出来たのです。

 姫宮様は、K氏に両殿下が、世間も色々言われて、どうしているのかと大変心配されていらっしゃるし、私の体調の事もありますので、子供達を連れて皇嗣両殿下にお会いに行ってきます。それに金銭的な問題もありますので・・・・と伝えましました。


 K氏は、あなたが、体調を崩している今、いい医者がいれば世話をしてもらうように、両殿下に頼んで欲しいものだ、いくらケチな皇嗣家でも娘のあなたの援助くらいはしてくれるだろうと言い、それにしてもあの家は、昔から色々と喧しく世間に言われているもんだ。どうかしてるんじゃないかと「お母様」も、いつもの言わているよ。などと皇嗣家が、自分の思う通りに動いてくれないもので、いつものように愚痴、愚痴と文句を言いました。


「・・・・・・・・」

K氏の言葉を聞き・・・・・そういえば昔、タクシー代の一万円を惜しんで宮内庁に請求したのは誰であったか・・・・その頃はこんな事でも、この人はなんて毅然としたしっかりした人なんだろうと、益々好ましく思ったものだった・・・・今、思うとなんて、浅はかな自分であったかと、姫宮様はK氏との過去を少し振り返ってそんな事を思い返しました。


姫宮様は、かつてK氏との婚約内定会見でK氏を「太陽」だと言いました。しかし今の自分は、蝋の羽根を付けて太陽に近付いて死んでしまった「イカロス」自身だと思いました。



K氏を「太陽」だと思い、皇室という高い壁のある世界から、飛び立とうとした自分はK氏にとっては、「姫宮」という立場のみを利用する為に、ただ「太陽」である自身に姫宮を近付かせれば、それで良かったのだと、姫宮様は今になってやっと悟りました。
なんて・・・・愚かな馬鹿な・・・・我が身の「恋」であったのか。

「誰か似る 鳴けよううたへよと あやさるる 緋房の籠の 美しき鳥」

柳原白蓮作

K氏に良いように言われて来た自分は、K氏に飼われた籠のなかの鳥と同じであったけれども・・・・・・

それでも姫宮様には、こんなK氏に、一途に恋焦がれていたのです。 


姫宮様はK氏に、

「人言(ひとごと)を 繁み(しげみ)言痛(こちた)み おのが世に
 いまだ渡らぬ 朝川渡る」

(人の噂がやかましいので生まれて、初めての朝の川を渡るのです)

但馬皇女(万葉集)

・・・・・とメールを送りました。



姫宮様はもう振り返る事なくK氏の元から出てゆきました。



三代将軍徳川家光公直筆の「鳳凰」さん(別名・ピヨピヨ鳳凰)

「姫宮様は子供達を連れて皇嗣家に戻られようとしたのだけど、太陽の出ているうちでは、人の目もあるからと、夜になり人の目を大層気にされながら、皇嗣家へと行かれたという事だ」


こちらがきちんとした画家が描いた正しい「鳳凰」です。


あれだけ、K氏と結婚する時、もう反対を押しきって一緒となりそして、結局はこういう結果となり又こんな迷惑を掛けてしまう事態にしてしまって・・・・・と思うといくら母宮からのお手紙を送られても、やはりご実家と云えども、思わず二の脚を踏む思いでしたが・・・・


子供達を見るともう、こんな弱さではならないとと思うのです。


姫宮様と子供達が皇嗣家に戻られた知らせは、直ぐに妹宮様にも知らされました。妹宮様は昔から大層、姉宮との仲が宜しかったので、自身と姉宮様の仲を疎遠にしたのもK氏のせいだと思っておりましたので、こうしてご実家に戻られた事を大変嬉しく、お心に光が差す思いでした。


母宮の皇嗣妃殿下も姫宮様方の到着を聞き大層安心し、孫達も連れて来たと聞いてなおさら嬉しく思いました。


姫宮様は、直ぐに皇嗣殿下にお会いしました。そして姫宮様は、涙ながらに、お父様、申し訳ございません・・・・・と言いました。それ以外の言葉は出てはきませんでした。


皇嗣殿下は、何もおっしゃらずただ姫宮様を暖かく抱きしめました。



お二人のご様子を見られまして、皇嗣妃殿下も姫宮様方がこうして戻られた事に涙にくれるのでしたが、しかし大変なのはこれからだと思い直し、毅然とした心持ちとなったのです。


皇嗣妃殿下と直ぐに、ご実家の皇嗣家にこられた妹宮様も、姫宮様の子供達に会い、なかなか会いたくとも会えない状態が続いていましたので、今こうして、心おきなく接する事が出来ましてとても嬉しく又大変可愛がりましたが・・・・・・。
 しかし、その一方でこれから子供達には、辛い思いや様々な事も耳に入るだろうと・・・・不憫にと思うのでした。


皇嗣家の方々の子供達への暖かい接し方を見た姫宮様は、その安心感と今まで気の張りつめた糸が切れたかのように、床に崩れるように倒れ込んでしまったのです。

姫宮様は、お倒れになられ、皆様は大層驚いて、皇嗣家では直ぐ医師に来てもらい診断を受けましたが、心労が重なったせいとの事でした。そして、カウンセリングが必要との診断が下りました。
 しばらくして、姫宮様は、ご両親殿下においで頂きたいと伝えられて、皇嗣両殿下は、姫宮様の元に来られました。姫宮様は涙ながらに、ご両親に、自身とK氏との結婚の生活を終わらせたい、そして、別れたいと伝えられました。
 あれだけ反対されて、それを押しきったうえのK氏との結婚をこんな形にして、終わらせる事を、ただただ申し訳なく、又K氏との結婚を賛同してくれた方々には、お詫びするのも申し訳ないが、しかしもう、これ以上、K氏とは、夫妻として暮らせないとそれだけは、ハッキリと皇嗣両殿下にお伝えになられたのです。

そして、姫宮様は、あの当時あれだけK氏に固執し、周囲が望む、K氏の破談には、頑として応じなかったのは、K氏の心が、いつも自分でなくK氏の「お母様」の方を、大きく占めている事への、嫉妬心があったのだと、両殿下に初めて話されました。



 K氏は、自分の結婚も自身の強い思いというよりも「お母様」の意思を強く尊重し、私の事は、姫宮という立場を「お母様」の為にものにしたかったのだと・・・・・。その事は、自分自身、もしやという思いもあったが、あの当時世間では余りにもK氏と「お母様」の事を批判され、K氏も心弱い言葉を言っていたので、姫宮という立場で交際しなければ、こうまで言われる事は、なかったという罪悪感もあり、こちらもなんとしても信じ切るのが、K氏への愛だと考えその事は打ち消していたと、おっしゃいました。


 大切な人が、世間からいわれのない非難を受ける辛さは身近でも見ておられ、その気持ちも、理解出来る姫宮様は、同じく世間から非難され続けるK氏が、どうしてもそれと重なり、又K氏もその様な姫宮様のお心を、見透かしているかの様に、姫宮様に同情されるような、弱音な言葉を伝えたりしておりましたから、姫宮様は、ますますK氏への思いが高ぶり、あの当時は相当に頑なお心となり、両殿下始め、周囲の意見も受け入れる事は出来なかったのです。


今現在、こうして思い返すと、どうにもおかしいという事は、多々あったというのに、それを指摘してくれる人の言葉もあったというのに、「お母様」への嫉妬心と対抗心からの意地を張り、冷静な判断が出来なかったのが、悔やまれてならないと又涙を流されました。皇族、ましてや「内親王」という立場は、それを失くしても十分利用価値があることの意味を十分考えていなかった自分は、何て愚かであったのかと話されました。
 姫宮様の話を聞きまして、皇嗣両殿下も姫宮様の辛さや心に秘めていた事などを知りまして、又思いを巡らし涙を流されました。


「百人(ももたり)の われにそしりの 火はふるの ひとりの人の 涙にぞ足る」

(例え百人の人に非難されても、私は、たった一人の涙によって癒されるのです)

九条武子作

 こういう結果となり又世間では、皇嗣両殿下の子育て云々などとの言う人もいるだろうが、娘の辛い涙を見れば、こちらの方が親として辛いのだから、何の事もないと皇嗣両殿下は思うのでした。


 妹宮様は、今夜は久方ぶりに姉妹同士でと昔のように同じ、お部屋で、休まれましたが、やつれた、姉宮様の寝顔を見ますと、あれだけ周りの反対に合いながらも、K氏と一緒になるという我を押し通して、その果てが、今の姉宮様の姿かと思うと、身内の甘さだと他人には、言われてるだろうけど矢張、どうしても姉宮様が、おかわいそうで仕方ありませんでした。


 皇嗣妃殿下は、孫達の寝顔を見にゆきました。子供達は、それぞれの両親の面差しを受け継いでいましたが、こうして愛らしい寝顔を見るとしみじみとした情愛が湧いてきました。これから間違いなく世間の好奇な視線にさらされるであろう孫達の行く末をなんとしても守らなくてはならないと、あらためて強い決心をしたのでした。


例え姫宮様とK氏との結婚に反対したとは、故、生まれて来た孫達には、何の罪もないのだからと。


 皇嗣妃殿下はご自身、妹宮様をお産みした時、当時の東宮ご夫妻がまだお子に恵まれておられなかった為、いわれのないの批判を受け、大変辛い思いをされましたが、それ以上に四十路間近で懐妊され、出産された若宮殿下、今は健やかにご成人され、江戸時代の四親王家の一つで、かつて天皇を御出しした、宮号を賜り独立しておられますが・・・・・。




 その宮殿下を、お産み参らせた当時はもう大層な非難を口汚い世間の一部とはいえ、身重のお身体で、受けられましたが、その時は、妹宮様以上の辛さ、苦しみを味合わされました。





それでもこうして宮達は無事に健やかに、成長されまして、現在はそれぞれ一家を構えられる身となりました。
 姫宮様のこの度の問題も、決してするすると解決するとは思えませんが、上手く乗り越えてきっと良い方向へ、向かうだろうと、そう悲観的には、考えていませんでした。


「宮達を懐妊した時の、冷たい仕打ちそして、生まれてくる新宮の存在を否定される、悲しみ怒りを感じたあの時と、宮達が健やかに育ったうえの苦労に比べれば、あの時の苦しみの方が遥かに辛かったのですから、今度の問題もきっと乗り越えます」

・・・・・と皇嗣殿下にお伝えになられました。 その5に続きます。



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