映画 20歳のソウル HATACHI NO SOUL
公開初日の最初の時間帯で観ました..
コロナが勃発してその渦中には控えていましたが
そろそろ緩和の動向が見えたので
ひさしぶりに 映画館へひとりで..
なぜだろう
至極感動したのは言うまでもない
けれども
この感動は どういう類のものなのか..
以後 何かにつけて想っています
すばらしい指導者と仲間に出逢い
大好きな吹奏楽=音楽人生を満喫できた
最後の最後まで..
20歳で逝った..ということは悲しい事実
ですが..
映画で描かれていた彼は
多くの人に愛され
少なくとも高校の三年間は
その後襲いかかる病の片鱗も感じることなく
普通の高校生活を 部活に打ち込み
その活動の中で
母校に いまもなお継承され続ける「応援歌」を遺した..
映画の主題歌は
彼が恋人を想って書いた旋律をオマージュしている
美しい歌声(Kanta Dedachi)が より一層
若く逝った彼の
しかし 輝かしかった青春の姿を引き立てる..
もしかしたら
私は
この映画の彼の青春期に
自分のその時代を投影して
羨望 との裏返しに
深い 悲しみに襲われているようにも思う
そう..
私には 応援される仲間も 家族もいなかった
いいえ
世話を焼いてくれる=助言?をしてくれる
そういう人が居なかったわけではない
けれども 私は..
独り心を閉ざして
将来の自分への希望を抱けない環境の中で
深い絶望感を抱いていた
誰も気づかない..
そう
空回りする環境の中で
私は 誰をも信頼せず
独り..自分を護りながら
大切な思春期を
ただ やり過ごしていただけの歳月
映画 20歳のソウル HATACHI NO SOUL
この映画は
決して悲劇ではない..
悲劇というのは むしろ
本来 無条件に
いま(現在) を 自分のやりたいことに集中して
将来への希望を見出す時代に
そういう 当たり前の成長に寄り添ってもらえず
否定を受けて 自由を奪われること...
こころの拘束を受けた者の悲劇
自分との対比が
いつまでも いつまでも
余韻となって
繰り返し 繰り返し 悲しみが蘇る