北海道旭川市は多くの文化人、芸術家を生み育てて来た文化芸術都市です。
『輝く旭川人アーティスト達』ではそんな文化芸術都市北海道旭川市で生まれ育った素晴らしい才能の持ち主達をご紹介いたします。
本日はボーカリストで旭川観光大使も務めた宮澤篤司さんです。
宮澤篤司さんは1973年1月生まれ北海道旭川市出身、北の大地が生んだスーパーボーカリストです。
1997年に『旭川歌謡音楽祭』でグランプリを獲得。
その後、市内のライブハウスなどで活躍しながら、友人である大久保卓司さんが作った曲『ごめんね』でオーディションに応募。4500人の応募者の中から、グランプリに選ばれ、1999年12月に『君らしく僕らしく』でデビューしました。
翌年には『愛しさのしわざ』をリリース。
その後も数々の曲でその歌声を披露してきました。
透き通る歌声と聴き心地良い高音は勿論、
歌詞の意味がはっきりと伝わる正確な歌い方が彼の持ち味。
彼の歌う曲の多くはテレビCMや、番組のテーマ曲として使われていました。
宮澤篤司本人を知らなくても、彼の歌声に聞き覚えがある方は多いと思います。
デビュー曲の『君らしく僕らしく』はロッテシュガーレスチョコ zeroに使用されます。カップリング曲の『偶然の街角』も山ノ内製薬カコナール内服液のCMソング(本人も出演)として使用されました。
セカンドシングル『愛しさのしわざ』はニセコ東山プリンスホテルCMソング、カップリングの『ふたり』はじゃらん(北海道版)のキャンペーンソングとして使用されました。
サードシングルの『夜明け』はばんえい競馬のTVCMソングと使用されました。
TVアニメ『プリンセス プリンセス』のオープニング曲『キミと出逢ってから』は記憶の新しいところです。
2000年には旭川観光大使に就任。地元旭川のイベント(旭川冬まつり、さんろく祭り、旭川サンタラン等)への出演や、東京で開催された旭川PRイベントに出演するなど、大好きな旭川の周知に尽力します。
地元旭川市のFMラジオ局(FMりべーる)ではデビュー当時からパーソナリティーを努めていました。
宮澤篤司さんはソロアーティストとしての活動の傍ら、その類まれなハイトンボイスが大物ミュージシャン等に認められ、バンドのボーカルや音楽ユニットの参加するなど多岐に渡る音楽活動をしてきました。
旭川美都主催の旭川人アーティストライブ『A Dream Session☆』では二回目のスペシャルアクトとしてご出演頂きました。東京でのライブでしたがわざわざ北海道から来られたファンもいます。
2020年に発表した故郷旭川感謝の歌『雪野も花も』では運営サーポートとして参加。企画運営側の相談役として陰から支えてくれました。
趣味は美術館巡りと、立ち飲み屋発掘。下町、特に浅草を愛し散策されていました。
宮澤篤司さんは2022年3月2日心不全により49歳の若さで旅立たれました。
正直、まだ実感がわきません。
電話をしたら「おお、今津、どうした?」と、いつのようと出てくれそうな気がします。何度か本当に電話しようと思いましたが、もし繋がらなかったら彼の死を認めないといけないようで、それも辛い。
確かに短かった、
だけど太く生きたと思っています。
あっ君は私にとって掛け替えの無い友人でした。
始めて会ったのはお互いが二十代の時ですから、付き合いは25年を越えます。
旭川市から北海道、そして全国へ活躍の場を広げる彼を追いかけ、僕が上京したのは18年前の事です。
『旭川美都』という活動を始めたきっかけも、『関東あさひかわ人街』を始めたきっかけも、あっ君の才能をもっと沢山の人に知ってもらいたいという、僕のお節介からでした。
あっ君はとても自分に厳しく、拘りが強く、歌に対してストイックな方でした。
昭和の歌謡曲を愛し、芸術を愛する方でした。
お互い拘りが強く喧嘩する事もありましたが、必ず僕の気持ちを理解してくれました。
私達は彼の歌声も優しさも忘れる事はありません。
またいつか会いましょう。
謹んでお悔やみ申し上げます。
旭川美都/関東あさひかわ人街
代表 いまず豪太(今津豪士)