クリスマスの日、棺にケーキをお供に旅立った彼はまだ44歳。
長男と同い年のあづの養護学校の先輩で、あんぽんたんの゙仲間です。
走ることが大好きで、足の長い背の高い優しい青年でした。
ミュージカルの゙舞台でも、スペシャルオリンピックスでも颯爽と走っていたとっくんです。
4月に急な脳出血で倒れ、かろうじて一命はとりとめたもののなかなか意識が戻らず、闘病を続けていました。
彼のお母さんは、この母と共にあんぽんたんの舞台衣装を切り盛りしてくれた戦友とも言える大事な友人です。
お護摩の祈願を重ね、毎日のご祈念を重ね、呼びかけに少し反応が出てきたところでした。
緊急入院と手術をした大学病院からリハビリ系の病院に転院してケアを受けていましたが、その病院からまた転院をせまられていたようで、転院先がなかなか見つからず、家族が自宅介護を決めたばかりでした。
お家に帰ってきたら度々お顔を見に行けるね☺️
何かしらお手伝いできることもあるかもしれない💪
そう話していたところだったのですが、容態が急変してかえらぬ人となりました。
「人情集団あんぽんたん」
2000年〜2008年に活動していたバリアフリーミュージカルの゙団体です。
若い代表の男の子が大学の友人たちとたった8名で立ち上げたこの集団は100名を超える団体に成長し、鈴鹿市を゙拠点に県内4か所、お隣の名古屋にまで公演先を伸ばして4つのタイトルで公演回数も10を超え、障害と健常の垣根を取っ払ったバリアフリーミュージカルの゙舞台を創り上げたのでした。
あづ家も゙とっくん家も゙立ち上げの第一回から参加。
あづもとっくんもあづ家の゙次男くんも役者として、長男は小道具スタッフ、とっくんママと母は衣装スタッフ、大黒さまは保護者スタッフとして、がっつり取り組んだ6年間は我が家の宝物のような時間になりました。
次男は一回目と二回目は役者として、二回目と三回目は楽曲制作にも関わり音響スタッフとの兼任でした。
そんな団体の仲間の゙急逝に、20年近くも経った今、多くのメンバーが葬儀に駆けつけたので、悲しいけど懐かしい映像も流れ、同窓会さながらの温かいお見送りになりました。
あづも大好きな代表の彼と一緒に参列出来て、「とっくんが会わせてくれたね」と。
悲しいけれど、温かくて爽やかな、そんなご葬儀でした。
これからはあちらからママたちを、わたしたちを見守ってくれることでしょう。
とっくん、見ててね🙏
在宅になった大黒さまは精力的にお片付けに動いていて、つられて母も毎日頑張っているので更新が滞っておりました💦💦
お陰で例年よりも早くに年越し準備が進んでいます。
墓参りも大掃除も済んで、今日は餅つき。
いつもは夜中になるもち米準備も早くに出来たので今日は朝から搗けます。
頑張りま〜す💪💪💪
今日もアクセスありがとうございます🙇🙏
感謝🙏
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