あげちうのブロマガ

「面白い」光景と、「面白い」行為

お金の問題は、切実ではある。

「FGO」のネタを見ていてか、不意に思う事で、「マスター(ぐたおとかぐだことか?)が、宝玉(要はお金)を出せなくなったら、どうなるんだろう?」そして、或いは彼らが向かっている脅威、それには”対価は発生しない”のだ、勝っても宝玉の消費はそれを補って余りある。「艦隊これくしょん」なら、良くも悪くも国営ではあり?そして「資源の調達」と言う要素は大きい訳だが、このFGOに有るのは如何にガチャに投入し続けるか?それしかまあ、無い(主観)。

彼らが向かってる脅威は、マスター側の資源が無くなった時点で終わる訳だ。そして?マスター側の資源が増える…その要素は、無い。

「艦隊これくしょん」が”王の権威”側、「FGO」が”中華思想の皇帝”側の感覚?と言うか、「娯楽の結末」ではある。前者の方に居る存在にとって、後者の何処に喜びを見出せば良いのか解らない、絶望しかない。前者の娯楽には、現実へフィードバックし得る構造と結果があり、遊ぶ事にはある程度の”意味”がある。”それ”はそう言う事だ、支援でもあり、納得でもあり、そして「だから私はやらない」その理由でもある。

しかし?後者側にしたら、前者に有るのは絶望しかない、「制限」その壁は、悪夢でしかない訳だ。「面白い」の価値観がズレていて、それは今も或いは、平行線ではある。


今の世間を見た時、しかし、”多数決では後者”なのだ。何故ならテレビの影響力が強いから、だ(多分)。テレビは吸い上げる事しかしない。それによって打開?されても、それが直接の利益を産む訳では無い。

「それでも”これ”は大事な事なんだ!」

切実な、しかし「艦隊これくしょん」側にはか、”それ”がどうにも、解らない。


「中華思想の皇帝」それは、そのFGOのマスター、それを”勝つまで続ける事が出来る”存在、の”筈”なのだ。そう言う存在こそが、皇帝として相応しい。そして?それはこの絵に有る様に、居る。それは誰だ、我々はそんな超人?の到来こそを待ち望んでいる、それが居なければ、世界を救う事は出来ない!

1+1=3と言う数式を書く事は出来る。1+1の結果として有る”3”それは居るのだ。それを見つける事が出来れば、世界はより高い次元へと、とかなんとか。

こういう価値観と言うか、歪みと言うか。それはまだ、やっぱり「目に見える何か」として、そして物理的な脅威でさえある、それはそこに有る訳だが。

とは言え、「王の権威」が特権を持つ時、感情論だ、それは大きく理不尽な切り捨てを、常に発生させる。今の状況やシステムは”それ”を抑えてはいる、のだけど。それだけに、妙な執着を抑止する事が出来ない訳で。

穴の開いたバケツで水を汲んでいる様な…これは、そんな事態だろうか。

「令和」の理念はでも、彼らには、何かの敵でしかないのかも。

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