あげちうのブロマガ

戦争を認める、と言う壁

好き嫌いは分かれる。

”勝負”は決したとしても、だ。

一時的ではあるが、「デッドバイデイライト(以後、DbDと略)」このゲームデザインに、若干の無視出来ない否定感は発生してる。「バイオハザード RE3:レジスタンス(以後、BHRGと略)」この存在故に、だ。元々、「DbD」は、「BHRG」その皇帝創作として発生した形跡があり…それがその通りなら、オリジナルの登場で色あせる、それは道理として正義だが。

「戦争」である。
スポーツでは無い。
”殺し合い”をしているのだ。

「BHRG」それは次第に、そのストレスを発生はし始めている。

ただ、”これ”を否定する時、そこには独裁者が発生し、或いは今回の新型コロナウイルス、その騒動をも起こす訳で。この騒動は何だか、「売春婦を買いに行く様な存在に対しては重症化する」そう言うウイルス、として安定しそうな雰囲気ではある。若年層は親か社会の、乳児は或いは”輪廻転生前”の、その思想により、そこに犠牲の容認が有る時…何かの突発的な重症化が始まる。今の社会でも、老人の多くは犠牲を容認してこそその地位が有る。志村けん氏の様に、”それ”を容認してこそ人々の喝采はあるのだ、そしてそこに富も栄誉もある。結論で”それ”が、物理的に否定された、とは言えるが。

その時逆に、「ゲームとしての」殺し合い、”それが王として”そこに居るのだ。

仮想現実だが、それは”現実と大差ない”そんな戦場であり、そこで死ぬ時、そこには本物の悲痛があったりはする。「その存在が許せない」のだ、”それ”は。今のレベルなら、「今年のインフルエンザは」で済んでた所を、それは済ます事は出来なかった。何かは繋がっている、気はする。”それ”を撲滅せねばならなかった、しかし。結論でそれは、社会その物を止めかねない事態へと加速していく。株価の暴落は、資産価値の下落へ直結する、その時、それは自分の足場を崩していくのだ。”正義”が邪悪に屈しようしてしている、それは許されるのか。

事態はまだ、予断は許さない。

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