「私がこの、”黄昏の狩人”を書いたのです」
それは素晴らしい。貴方には才能が有るんだね、よし投資しよう。
…何故売れないんだ?何か問題があるんじゃないのか?投資が回収できないぞ?大きな損害が出てる。
「実はこの”黄昏の狩人”を書いたのは、私ではありません」
それは、詐欺じゃないか。
何となく、”この辺”まで来ている気は、する。「加害の賠償」それとして、DOS/Vの権利は移動した、”それ”は妥当だ…としたら。”これ”もある意味では妥当だ。被害が出ているなら?”それ”は、立件が可能なのかもしれない。軽犯罪の重過失、その結果だろうか。元「中華思想の皇帝」それは、”詐欺師に成ってしまった”訳だ。
何か、憑き物が落ちた、多少そう言う感覚は、有る。
状況その物が、大きく変わった訳でも無い。テレビは相変わらず作家性を前に出し、自由を!挑戦を!伝統を!今まで通りを守れ!繰り返す。「表」側の理想その物は、まだ消えた訳じゃない。根拠を失ったにせよ、それは重大な防壁が消えただけだ。執着はある、かつて映画産業が死に絶えた時の様に。
「この作品が売れないのはおかしい!」
意味的には、実は「聞くに堪えない自画自賛でしかない」のだが。「認められた」部分しか利益には成らないし、一部だけに”それ”を与えるのもバランスが悪く。ブームが過ぎれば寂しい物だ、全く見向きもされない。当然ではある、世間は毎日、仕事をしているのだ、人々の為に働く。それが、そんな「俺の詩を聞け!」相手にすると思う方が、おかしい。
ともかく、”誰”が認めるのか?
今まで”それ”を全否定してきた訳だが。
DOS/Vその物は、今だってそうだが、別にエミュレータを噛ませれば、MacでさえWindowsは動くのであり。土台が二度と、そんな暴走をしない様に。多少「改良」増築?そう言う事をする事には成るのか。緩やかに変化はしていく、ともかく元の、暴走した、そのDOS/Vは…破壊された。何かの些細なバグ、或いは独裁者の夢?それを載せた船は、破壊された訳だ。
戦争は終わって、決着は付くにせよ、騒乱は残り、問題も不満もまだ、ある。