あげちうのブロマガ

古い基板に眠る悪夢と自由

それは問題なのか否か。

「新聞記者」が、或いはアサルト、「システム2」を企画する際に何故、あげちうのネタをパクったか?といえば、それ以外での利益性、或いは「評価」が期待出来なかったから、だ。ほぼマスコミの、情報の集積においては最上位だった所の選択が”それ”である。どれだけ「売れるネタ」と言うのが奇妙な物だったか、ではあり。それによりしかし、「昭和」の黄金期、栄光そう言うのは有って、そして選ばれた人々、と言うのも居て、多感な時期を過ごした昭和の若人は多く、”そこ”を目指したのだ。

”それ”が結論で、冬鳥の越冬地に餌を撒くおじさんとやってくる白鳥、その関係でしか無かったとしても、彼らの見ていた「理想」或いは自由、それはそう言う物だった、そして、或いはこの「システム2」というゲーム基板は、その継続を願ったのだ。

ネタをパクってさえ居なければ、或いはこれは継続したのかも、しれない。
健全では無い、にしろ、そこにその利益性それはあった。パクってさえ居なければ。

そして”だから”だろうか、この基板は奇妙な執着を残し、そして何かの主張もまだ、続けている。だから?ともかくスチームなどでも、実際にはハイクオリティな3Dゲームばかり?では無く、むしろ意図的なドット、古い時代、それを表に出してるゲームもかなり、ある。面白いか否か?はともかく望郷はありそして、それはつまり、この基板が今もまだ、何かの現役で有り得る可能性それを示す、訳だ。

必要な物、なのだろうか。

この基板は今、「あげちうの、利益を期待しない発表された創作ネタ」をのみ、下敷きにする事が許される…ある意味での自由な空間、となった、かもしれない(もちろん、あげちうはそこからの利益を要求は出来ないのだ)。ストリードを張る必要もないし、外から貰う必要もないし、ロイヤリティの面倒も無く、ただ自分が面白いと思う”だけ”を形にして、それが利益を持つ可能性がある環境。正しいか間違いか?で言えば正しくないしかし、問題の打開においては或いは、必要な事なのかもしれないじゃないと、先人の世代を、”そこ”に居た人々を、そして今も尚そこに居る人々を、全否定する事には、成る、のかも。親を殺す、必要な面もありつつ、99%以上は、そこには面倒しかない。

疑問はありつつ、その基盤はまだ有り?或いは時代の要求としても、”現役”を主張さえしえる、そんな状況ではある。

「例外と言うのは有る」と言うべきか、否か。

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