あげちうのブロマガ

その些細な過失と原因の怪獣

構造の失念ではある。

その感覚での「才能が無い奴」が居る、とは思わなかった訳だが。

それはまだ未確定と言う感じもするが、「システム2」そのゲーム基板の存在が、平成という時代を形成した訳だ、が。その企画原案がパクリだった事から、この時代の倫理観は大きくゆがんでしまう事に成った、のかもしれない。本来なら、そこに居るのは誰でも良かったのだが、「才能が無い奴」がそこに座る可能性を、その頃の感覚は考慮しなかったし、或いは出来なかった。

自分の作品に責任を持たない(ネタはパクリや盗作、他者からの聞きかじりなど)。
他者のプライバシー侵害に抵抗がない。
間違った情報を流す事に罪悪感が無い。

それが当時の「マスコミの特徴」だった、と言うのも、不幸の原理だったろうか?

企画原案は、少なくとも昭和天皇の如く、自身の行動には命を賭した責任を持つ、という態度は求められた訳で。それがここまで無い?と言うのも信じがたい話、だったと言うか。状況は理不尽だ、原因はその存在だが、今更それを責めてもしょうがない。

とある名も無き島から、邪悪な怪物らが大挙して出現した。
”それ”は近隣諸国へ襲い掛かり、人類は未曽有の危機に陥った。
原因は、その島に対して放射性廃棄物を不法投棄していた事による。
政府にもパイプを持つ存在の、その行動の結果、島に有った物が人類への厄災と化した。

ともかく襲ってくる怪物らの脅威は現実だ、そして元凶を殺した所で、その厄災を止める事には成らない。星新一氏のショートショートにそんな話があった、穴があり、何でも”そこ”に捨てていたら、それが有る日、空から降ってくる。”それ”が具現化した様な…そんな事態だ。そしてそれは平成と言う時代の絵となった訳で。

”ここ”は、ナムコの「システム2」この基板は、そう言う物だった、ろうか。

まだ、直ぐの変化は解らない。企画原案の権利者?が変わる事で、その挙動も変わる筈だ。変化した結果は、限界の先は0に戻ってしまうと言う事態ではある、255に+1すれば0なのだ。ある意味でデジタルな事態を前に、今までの、「不満の圧力」からの破綻は起きにくい…が。

感情論の問題は、何処へ行く物か。

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