ゲームを見ていて。
時々、思う事がある。
「巧い人のプレイは、何故か自分にも出来そうに感じる」のだ。
何故か?
思うに「事実だから」だ。
良くも悪くも?”そこ”まで行かないと、一般の評価、そう言うのに成らない。
矛盾してる現実?
「それはやればできると解っていても、出来るのはその人位」なのだ。
そこまで”証明”出来て、初めて「凄い」或いは”それ”が「面白い」に、なる。
継続を考えると、当然では…ある。
価値があるなら、それは継承していく必要があるのだ。
その時、「自分にしか出来ない」それでは、困る。
教えれば、訓練すれば誰でも出来る物だ、じゃないと続かない。
続かない物は、日本だからだろうか…あまり、価値が無い。
という時。
「なんで物理演算は評価?されないのか」
ちょっとした、心理的疑問、抵抗、そう言うのは、ある。
簡単に言って「面倒くさい」難しい、理解し難い、だから。
しかしこれは、その「巧い人のプレイは簡単そうに見える」それには、合致してない?かも。
「土台が有る」時、本来その理解?は難しく、無い。
四角い箱か、丸い球がある。「マテリアル」と言う奴。
それには数多の「属性」重さ、すべり方、そう言うのを設定出来て。
”そこ”に、「キャラクターのイメージ」を、結びつける。
そのマテリアルに、移動力とかそう言うのをプログラムから与えてやる事で、それはその設定された属性に基づいた動きを、する。
「で、その土台はどうやって創るの?」
この先が、無い。
良くも悪くも、何となくだ。「作者が公開を否定してる」から、だ。
それは作者にしか出来ないし?理解してない領域なのである。
結果、他の人々はそれを「自分にも出来る」そう思う事が、出来ない。
教えれば?
…しかし、教えたら…なんというか、「価値が無くなる」のだ。
なんだ、大した事無いんだ。
この一言が、耐え難い。
或いは事実、だ。
マテリアルに対して最初から”設定”されてるのは、重力加速度位、だ。
その挙動はあくまでも、”数多のパラメータを設定して”初めてそのリアリティを獲得できる。
それ単体では、実際にはリアリティが…無い。
後は、実際の物理的挙動?を観察し、それを「パラメータとして表現」しなければならない、訳だ。その先にしか実際、評価が無い。
…土台は?
が、そこに人々が踏み込まない時、それは…評価対象に成らない。
「土台への評価が低すぎる」それは、不満として有る。
今の物理演算を見ていても、土台を創る上で加味する要素は多岐に渡る。衝突、連結、変形、破損?等々。話は簡単だ、最小の基本マテリアルに、それらの動きを全て盛り込め。そしてそれを百万個いやそれ以上を、同時に動かせる様に。
どうやって?
…願いは、どっちだろう。