あげちうのブロマガ

形無き故郷を守らんとする

ダイレクトに語れば、「朝鮮人」その人々にもう、故郷は無い。

その時不意に、「故郷」それは、彼らの執着に成っていく、のだろうか。

 

「ゼビウス」とは何だったか?的な、それを考えつつ本日の「ロードオブロード」進捗。


「ロードオブロード」5r 第2回目

前回の状況
 スコア4、要求23、借金最大ー5

1.領域パーツ選出

本日のダイス
白:4,3:7
黒:4,4+4,5:17!

黒17 444543

「要求」23+17=40

123456
━┃┏┓┛┗

パーツ
444543
┓┓┓┛┓┏

2.領域形成

  
  S
  ┗━━┓
     ┃┏┓
     ┗
        
          
         ┗━━
      

3.不足補填

前回の残骸
32661 316
 ┃┗┗━  ━┗ 使用

4.報酬選定

 不足補填あり、報酬査定、1D6→1。

コスト消費 4-0=4
スコア4+1=5

5.現在の結果

借金最大 ー(5+12)=ー17

スコア4、要求23、借金最大ー17

・・・まあ、普通?か。


感覚的にも、「シューティングゲーム」特にゼビウスの後に発生したSTG群と、それをプレイする人々には、何かの特異な個性、少し行き過ぎた熱意?そういうのは、不意に感じる。

前にも、「ゼビウスは、軽犯罪の重過失を少し、軽くしてくれる」と言う?”役目”を提案した事は、ある。軽犯罪、万引きなどの”それ”は累積し?その人へと、知らず知らずに世間の「否定感」”それ”を創っていく。100円の商品を万引きする、既に10回目、というと?被害額は1000円だが、「否定感」と言う負債は100+(100+100)+(100+200)+…と、どんどん前回の数値を「追加で加算して」膨らんでいく訳で、この場合、5500円が「万引きした事による負債」には、成る。この数値は単純には消えない。そして軽犯罪とは、他者へ不快な思いをさせた、軽微でも損害を与えた時点でカウントされる、訳だ。気づくと数百万円単位に成っている?それも現実。

「なんで俺だけ”失敗”するんだ?」と言う、それは雰囲気の問題として、理屈は、そういう感じ。

一応、この数値をゼビウスは、その類型?は、軽減してくれる。とは言っても、”誰か”が補填するだけ、だろうが…ともかく「ゼビウス基準で」獲得したスコア分の減少は期待してもいい。それにより、万引きした過失その物は負債としては軽減され、その後は、あまり問題には成らなくなる、訳だ。

ただ、今のところはその上限は1000万円が限度、ではある。軽犯罪の重過失は、「気になる」レベルだと既に数億にも達する、場合が結構ある。前の感覚だと、「盗作」は、それによる利益を得続ける限り”それ”が軽犯罪として累積されてしまう、「神」の目を通し、例え「被せ」であっても、だ。売れた数値が出る度に、そこに潜む「軽犯罪」は、作者へ負債を載せていく事に、そして気づくと技術は有っても、売れない?という事態へ陥っていく。アイディアも出て来なくなる、名前だけ有っても、結果が出ない。そうなる前に?ゼビウス的なゲームに自身の労苦を投入し、可能な限り高いスコアを出し、その軽減を図る…事になる訳だが。

 

想定では、ある。

 

と考えると、その状況も妥当だ、という事で、自分的には結構定理ではある、訳だが。該当者らのプライバシーでもあり、数億単位の”それ”を軽減する、という事にも無理はあり。ともかく想定する様は「という訳で、可能な限り万引きとかの軽犯罪はしない方が良い。バレないという事は神の視野の前ではありえない。それは気づくと致命的な自身の欠落に成っていくのだ」と、道理は語れる、そこは悪くない。良くも悪くもゲームセンターとは「不良の溜まり場」だった、という過去はある。”そこ”への需要、それとして、そう言うのが求められた、それはある、だろう、だから。

つまり、「ゼビウス」それが、唯一の拠り所に成っていた人々、そう言うのが実は結構いた、のかも。

「不良」と言うレッテルで自身の存在を国から否定される、位の感覚は、故郷を失った、に近い感覚を持つのかもしれない。「不良」と言うレッテルが付いてるって事はその前に、相応の過失はしている、訳で。その人々を許し、日本に置き続けた?「何か」は有った訳だが、そんな感じで、”ここ”は、彼らの故郷、そんな物に成ってしまっていた…のかもしれない。

視点としてはとんでもない話ではある、ガラの悪い素行に問題のある不良を許し、護っている訳だ。或いはそして、そこには「似たような」感覚、”それ”が集って行く、事になるのかも。つまり、最終的には「朝鮮人」は、”ここ”を自身の故郷、それにしている…?可能性も或いは、少し?

この場が、利益を上げ難くなっている、それは感じる。

存亡の危機である、もちろん身から出た錆だ、と言えばそう。ただ?執着は残り、そして剣呑さも勿論、残しては居る。否定し難い、そして国が切り捨てを創っていない、とは今の状態でも言い難い。”ここ”が、その一部を切り捨てずに護っていた、存在を容認していた、そう言うのは、或いはある。それを捨てても良いモノか?は、ちょっと考えはする。

そう言う熱意?を否定するべきか、或いは。

不良の溜まり場という過去と、利益と。ちょっと分岐には居るのだろうか。

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