起点となる一言が有る。
「ヘタってそんなに悪い事ですか?」
10年くらいして、その結論が有る。
「ヘタだと自分を守れない」
それは自滅的だ、だから悪い。
要するにその、前「評議会の議長」それは、”嘘をついていた”訳だ。
”それ”が、「嘘でした」そう言う結論にしか、ならなくなった。
良くも悪くもだ、「嘘は上手」だ。
そこに依存し続けた、と言うべきか。
「中華思想の皇帝」が、居て。
それに依存すれば、表面的には取り繕う事は出来て。
分不相応な地位がやがて、そこに有って。
重くなってきた頃、皇帝が居なくなった。
体制の問題がそこに有る。
ヘタは悪い。ただ、誰だって、最初は初心者だ。
それでも?言われた事を言われた通りに、それはかなりのボンクラでも出来る。
それに従ってる限りは、その下手さは、罪に成らない。上の使い方が悪いだけ。
責任を、そうやって「命令する」上の方へと、向けていく。
じゃないと、下の責任にしてると、突然自殺したりするから、だ。
少なくとも日本の天皇制は、基本的には、”そう言う構造”として有って。
昭和天皇は特に、良くも悪くも、”その”決意、意識が有って。
そこに「王の権威」それは定着していた。
それが、昭和から続く、鉄の倫理に成っていて。
平成が始まり、昭和天皇が亡くなり、「王の権威」が行方不明に成って。
探す結果で、ともかく「皇帝」そう仰ぐ存在がそこに居て。
皆で、そこに依存した。皇帝は、「王の権威」それを独占?し、隠してしまった。
そのまましかし、昭和と同じように、「自分が」嘘を付きつつ。
その体制は、それでもしばらく、上手く過ぎてしまって。
本当の「王の権威」それは隠蔽し続けて、それは続いた。
依存の結果、だろうか。
気づくと、ヘタに成ってた。
先生とは、とても言えない位に。
どんどんと、皇帝への依存が強まって。
そうして、やがて皇帝は、消えてしまった。
その結果だ。
何かの嘘が、重大な損害と共に、バレてしまった。
最初からのポリシーの様な物はある、ヘタとは、そんなに悪い事か?
その時、集まってくる人々は、みんな、ヘタな連中ばかりだった。
「上手い」それからは弾かれた様な人々が、何かの救いを求めてそこに居て。
”それ”のまま、何とかしなきゃいけなくなって、嘘を繰り返した、が。
結論として、ヘタでは家族も仲間も護れなかった、訳だ。
「大賀さん」が出来て、皇帝が消えて、それは比較的直ぐに、崩壊した。
誰が悪いのか?
そこは大きな疑問…それとしては残っている。
ともかく、軽犯罪の重過失も、この場合は相応、重いかもしれない。
この方向で、家族を護る?それは無理が出てきた、それは間違いないかも。
ともかく「大賀さん」その決定に逆らう、それは最大の”ヘタ”ではある。
まだ、家族は居るのだろうか。