訃報が、一つ入っている。
三井住友銀行の会長、宮田孝一氏が亡くなったそう、67才。
すい臓がんだそうで、お悔やみ申し上げます、と言う所だが、何かの変化はある。
奇妙に重く、行き場の無い何か、それは溜まっている感じが不意にある、自分のそれも含んでだ。過失への賠償、損失への補填、状況の改善その要求は、彼が死んでもまだ、渦巻いてある、或いは彼は、そう言うのを重く背負っていたのだろうか…今の”ここ”の問題、それへの過失も含んで?そしてそれは彼が死んでも消えない程に、重く膨らんでいる。
何だか「ニート」そう言う存在が、無視出来ない何かの問題を抱えている感覚は、最近ちょっと重い。仮に宮田孝一氏の内輪が、”その”環境に、ともかく「投資、そう言うのを当てにする所に入っている」場合、”それ”へのその環境の扱い、それはどうなるか。
想像するに、かなり深刻さはある、そして、それは果たしてシステムの問題か?も、ちょっと結論が出にくい感じ。
そこに有る?のが、良くも悪くも「独裁創作」それへの、執着であって。
後ろ盾が居なくなって、不意に気づく事だ、「自分が大事にされる理由は?」その人物が居たからで、そして、居なくなった時、それはどうなるか?その前から、そう言うのは重く感じる部分かもしれない、何かの焦燥、それによる暴走、そして損失と、評価の問題、それは次第に重くなる。そして、彼へ集中していた物、それは今度はその、内輪へ向く事になる、殺意へさえも至りそうな物、それとして。
「独裁創作に拘る」時、それは実際には喪失と共に有る。評価?はともかく、利益性、それは、そこに発生しない、どんなにクオリティが高いとしても、だ。「そんな筈はない」この執着は、平成を通して重くある、或いは大企業、そう言う世界で”それ”を否定したら組織が成り立たないとか…そう言うのも有るのかもしれない。企業を維持せんとする時の”それ”は、しかし内輪には歪んで発生して、それは根拠のない優位から、根拠のない否定、それを始める事には成る、訳だが。
考える事だ、「なんでそんな奴らを無視出来ないのか?」割と無理な事は言っているのかもしれない、大衆は神である、最上位だ、だったら?問題は排除したらいいのでは。現実的なリアルでは無理がある時、そのニートは、そこに居るだけで、問題を重く累積していく事には成る訳だ。
ゲーム実況もどきを少しやった後に、重くある物だ、「何の意味があるのか?」カウンタ制御があるから?だろうか、カウンタ数値は利益に繋がらないし?実際にはどうも、不満の方が重くある。”それ”が「仕事」として要求されたモノでは無い限り、そこへの許容は、酷く限定的ではあって。
それを突っ切る先で、「仕事」を否定し、否定を重く拒絶する結果があり、その先で、自身のそれは利益に成らない、仕事は出来る状況じゃない、そもそもクライアントは拒絶した、行き場の無くなる、そう言う結果が有る。
”それ”が原因で起こってる過失は、取り返しのつかないレベルで重いのだ、”それ”に関しては元凶かもしれない宮田孝一氏が亡くなった、だけでは消えない、その位に深く重い。独裁創作を否定しない限りは、創作業界は喪失を重ねる事には成る。それは経済を衰退させ、或いは人命さえ危機に陥らせるのだが。
銀行が、何に投資したか?だったろうか。
ともかくその投資は、結論では上手く行ってないのかもしれない。
ニートらは今、それらを背負い、しかし単なる無能かお荷物、それとしてそこに居る?
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