あげちうのブロマガ

死後の名声という奈落

「独裁創作の利益性」それは、今も確約し得た、とは言いがたい。

一人が従事しない事で1000人に仕事が発生するならその方が良い、言ったのは自分である。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

寝言かどうか、言ってる本人には微妙に解らない事ではあり。

ただもちろん?その時、その一人には相応の対価、それは支払うべき、と言う前提は入るが…言葉はそう言う物か?は、すこし深刻さはあるかもしれない。後の話が無ければ、先の言葉は或いは”有能の切り捨て”でしかない。そして民主主義的な物が、多くそう言う選択をしてきた、というのも歴史的な事実、或いはではある。道理は道理として、それに対して利益性を設定しない、そんな現実は多分あって。故にか侵略は「普通」の話として、それは世界の良識でさえあってのだ。

その時創作者、それに求められるのは施政者側の現実、その肯定ではある。

故にか、ゴッホの絵は、生前は全く評価されなかった。

「駄目でした」と言う結果が出て初めて、”施政者にとっては”意味のある絵になった、それは或いはある。ある面で「戦いに勝った」その結果であり。もちろん画家にしたら本意ではないだろう、良くも悪くも最下層を救わなければ、それはもちろん自身の境遇もだ、世界は価値を持てない筈だ、それは最後まで通らなかった、訳だ。視点では神に捨てられた、そんな様ではある…その時、ゴッホは何を考えただろう、残って居るモノは有るのかもしれない。

インターネット時代、目の前にあるモノが、地球の裏側で起きた事態の影響でも、それは現状へ影響してくる…それを実感できる時代ではある。そして当然か、それは人間の視野範囲を超えた事態だ。「解らない」その肯定は、今は重要な話に成ってしまうのも、或いは道理になるのだが。

ゴッホにしろ、「どうすれば良い?」それは、残してないのだ、状況が悪い、それだけ。解っている事だ、施政者側にしろ。打開する際に問題が有って出来ない。求めているのは知恵ではあるのだが、それは載っていない。不満だけがそこに淀んでいても、それは単に「いらない物」でしかない。最もそこに知恵が載って居たら、それはでも、ヒットラーに成っていくだけではあるのだが。

独裁創作は、結局は問題しか残さない、それはまあ、ある。

AI絵の使用は、その事態を改変し得るか?は、ちょっとそれもまだ、「解らない」状況ではある。”それ”は多くの意見、その統合としてそこにある。或いは「民意」それが狭い範囲であろうと現れては居る、訳だ。”それ”を上手く吸い上げる事で、独裁者は、「創作者は」独裁性それを中和できる、可能性は無い、事は無い。様な気はする。適度に思い通りに成らない、適当な所で妥協する、その時、作者は自身の夢をある程度遮断する物を相手にする事になるのだ。それは独裁者のそれだろうか?ではあり。

芸術、それは必要か否か?

「解らない」を無視できない感覚はまあ、残る。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事