良くも悪くも、人は死んでいく。
その人が持っていた物は、そこにそのまま残っていく訳だけど、一部は所有者?的な物が無くなっている、影響力とか、発言とかだ。
”そこ”は、欠落の様なモノでもある、そのままでは崩落する!時、そこに需要は発生して。
独裁創作が、何らかの利益性を持つのは、実際はこういう時、だったりはする。
ジャニー喜多川氏は、やっぱりというか、亡くなってしまった。
ここ数日、どうも妙な、衝動の様な物で、割と余計な事をしてた気はするが。
少し、沈静化はする。
或いは、「YOUやっちゃいなyo!」の先が、”この結果”ではある。
何かの利益は、”この”ジト目を殴り倒して先に進む、所に確かにあるのだろうけど。
それは自身にそれ以上の過失、喪失を発生させ、そして戻れなくなる訳だ。
ともかく何となく”期待した結果”には至らず、諦めるしかない、今はそんな状態。
ジャニーズ事務所にしろ、そこに所属するタレントにしろ、テレビ無くして、彼らの生活は成り立たない。
その財源は、誰が、どうやって捻出するのか?
彼らが踊って歌っているだけでは、実際問題、「発生してない」のだ。
”ここ”が、天皇家で有れば、まだ少しは違うのだけど。
現状のリアルとしては、昭和のそれ、あの時代には、届かない。
自分が良いと思う物を、世間が受け入れて、お金を払ってくれる。
アーティストの悲願は結局今も、偉人の死を持っても、具現はしていない。
世間に有る憤り?は今も、”ここ”には向いているのだ。
”ここ”がお金を発生させる事が出来れば、それで済むのに。
しかし、Aにとってのプラスは、Bにとってのマイナスであって。
それが衝突する結果で0に成ってしまうと、逆に-A-Bの喪失でさえあり。
ルールなき創作、個性が求める理想それは、だから価値に成らないのだ。
それを求める”彼ら”に「仕事」をさせるパワーは、今もまだ、ここには無い。
「ストリード」それは、世間に?仕事を要求する。
無理を言うな。
昭和は、終わったのだけど。