何だか、WIFIの中継器が死んでる?感じに成って、少し停滞中ではある。
何かの攻撃か、それとも「壊れた」のか…本当にどうも判断できない中には居る。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
”AIが”好きな題材って言うのもあるのだろうか?
ともかく自分の理解では、”創作で”世間にお金を供給しないと、世間のお金は増えない。結果、自分らの給与それも安定しない、という事態にはなる。その為には?必要とされる創作、それを作り供給する必要がある、わけだがしかし。「今必要な物」と言う作家個人の視野範囲で作品を作っていると、上手い作家の周りしか発展しない、みたいな結果には陥り、そこに発生する格差は騒乱の元には成る。必要なのは社会全体の利益であって、それは視点と道理では、計画的に?製造されるべき物、ではある訳だが。
果たしてその時、「今までの人気作」それに依存していくのは正しいのか、或いはではある。
「ドラゴンボールは何故、人気なのか?」は、ちょっと不意に深刻さのある問いには成ってきた。結論で言うと「才能依存」その肯定、ではある。好意的な視点では「選ばれた者には選ばれた責任がある」みたいな話にはなるが。作品全体は「そう言う物だろう?」それを何の疑問も無く遂行しつつ同意を求める訳だがしかし。「で、次は?」その問いは、既に連載が終了していても…今も問われ続けては居る。
パターンとしては、新たなる才能が目を出し、しかし同時に襲来する脅威がその前に立ちはだかる、という様な感じには成るのだが。この作品の場合、「新たなる脅威」と言うのも、新たなる才能、というのもなんか、既に「もういい」みたいな感じにはなっている、のだが。
「で、次は?」その声だけは、今も残って居る訳で。
以前に、「ドラゴンボール∞」と言うネタを考えた事はある、既存の方向性を少し皮肉る感じ?で、8個目のドラゴンボールというのを設定、”それ”は7個の正規のドラゴンボールの「効果」を止める、という能力がある事には成っていた。主人公はそれを手に入れて、ドラゴンボールを悪しき目的で使用せんとする連中と、非力さを技術で補って戦う、という感じに成っていく話だった(多分)。で、やっぱり思うのだが。
「…これ、ドラゴンボールか?」
主人公はどっちかと言えば、アイアンマンみたいな感じ、ではある。それはそれで才能には成る訳だが、「dr.スランプ アラレちゃん」に登場する「オボッチャマン」みたいなキャラが主人公、という感じには成っていそう(微妙な言い方)。力任せに押し寄せる様な敵を、その都度か知恵と勇気と持ちうるガジェットを駆使して撃退していく、様なそれは。もちろんぶっちゃけドラゴンボールの中にはあまりない構図だからこそってのはあった訳だが。やっぱり「亜流」と言うニュアンスでしかない、それはまあ間違いない。
で、ドラゴンボールは何か?に対して、正規の方向性を模索する時、そのパターンが既に限界だ、というのは…やっぱり思う壁ではある訳だ。孫悟空を若返らせて再登場、みたいなそれもちょっとアンニュイである。新たなる主役は要らない、あくまで孫悟空で良い、しかし。それはもう、或いは「大人になってしまった」のだ。読者の期待に応える事は出来なくなっているのに、要求は残って居る…。
昔の様にか、何もかも「才能」それで打ち破っていく様な痛快さ(?)は、今はもうナンセンスに成りつつある訳だが、恐ろしい事にバンダイの売り上げで今も、1/3前後を誇る様な…人気コンテンツである。
一つの妥協点みたいなのは考えた、「ドラゴンボール∞2 激闘!天下一武闘野!」とか題して、「セル」劇中登場の最悪の魔物に再び注目する。それは「純粋な悪」かなり劇中では稀有な存在ではあって、”それ”に注目する事で、「次」に進める様にならないか?ではある。常に存在し得る世界に現れる邪悪を、主人公らは倒さねば成らない、訳だ。天下一武道会の最後に、それは姿を見せて、ともかく主人公らの共闘により何とか退けるが…必ずしもその脅威は消えた訳じゃない、という様な。
・・・フォーマットを作ってしまう、というのもなんとも、「ドラゴンボールじゃない」感じはまあ残る。
才能依存で、世界は騒乱と深刻なストレスを招いた経緯はあるのだが。それでも求めるモノ、それは誰の?責任には成るのか。
それとも、その数値も一部による虚構、なのだろうか?
「売れてるコンテンツ」を護らんとするそれは、正しい行為か或いは。
それでも何だか、要求はある、気はする。