感覚の問題だ。
「地獄に落ちている」と言う絵で言うならアメリカが既に”そう”だ。原爆を使った結果、何かの過失を常に抱えてしまっていて、”それ”を払拭する事が出来ない。結果、「デッドバイデイライト」の環境こそが、アメリカにとってもリアリティではあり、「正論」それから逃げまくる、様な感じにはなる、原爆の使用は問題なかった!しかし、結論で言うとそこに勝利は無かった、そこに「王の権威」それは、無い。
ほぼ、昭和を通じての一般論でさえ有る、最大多数派だ、”それ”が実際には、そう。
「これで正しい筈なんだ!」
それは、”優秀”で有るほどに?衝突し、激昂する壁だろう。それらの果てに、平成の始まりで売春婦は新聞記者に殺され、それは残酷でさえ有る方法論で隠蔽された。しかしその過失は今もそこに否定を呼び、利益性、成功、それから遠くある。
求めているのは、利益性ではある。
その時、「正義」は少し、違う絵を見せる。
”嘘”は、やっぱり幾ら上手く隠しても、問題としては出てくる気はする。
儲かっていれば、社会的な拠出を求められるし、それに応じなければ守銭奴と言う蔑称から評価を下げて、会社の未来さえ薄暗くさせる。儲かっているならその分は、社会の為に貢献せねばならない、のだ。株価だけで世界は出来ている訳じゃない、お金は適当に使用されてこそ意味を持つ、何処に使うか?それによって、企業の未来は明るくも暗くも成る。
目指しているのは何か?だ。
とは言え、何に対して聞いているのか?と言うと、インターネットを創った様な”何か”に対して、ではある。自身らこそが有能であり正義であり!と言う、「黄昏の狩人」をパクって下敷きにしつつ、つい最近まで「これは我々のモノだ!」とか言い切ってたそれには、”ここ”の方法論など、如何に利益を上げようと邪悪な何かでしかない。歪んだ現実を正さねばならないんだ!しかし、そこに居るのは平成の始まりで売春婦を強姦し殺した、その新聞記者かも。
それでも、「私は優秀なんだ!」そう、実感したい衝動と、或いは事実?は、そこにそれを現す。
ユーザーの無能さがそこに見える時?その人には、何かの喜びこそが有る訳だ。
それにとっての「面白い」とは、そう言う作品の事であって。
ユーザーが自身の創った環境でスターダムにのし上がっていく!と言うそれじゃないのだ。
単純さと、根深さが、同居している。
”現実”と言うそれは、果たして。