PS5に関しては、失望感はやっぱり重い。
…とは言う物の、「自分らで理想の!」と言う、その流れに行けない現実の方が重くある。カウンタ制御の強制力その理由が、今も不透明だ。なんせRPGアツマールの「10!10をつくるパズル」が”この”カウント数値ではあり。
その上で、問題と言う事に、製作側でも成ってない?訳で。
”ここ”が面白いと思うモノが商売に成らないと言う現状は何故か、続いてる訳だ。
この事態に対して、こちらからアプローチできる事に見通しが、何故か立たない。
ともかくこの結果、RPGアツマールに掲載されるほぼ全てのゲームが、”ここ”にとっては「面白くない」訳だ、暇つぶしにさえ成らない訳で。
しかし、それが実際は世界標準で有り…PS5も、”そっち”を向いた訳で。
”これ”が、自分の感覚での「売れない物しか店頭に並ばない、売れる物は創らない」と言う、”そう言う絵”で有る訳で、平成はこれを通した結果、世界中で壊滅的な経済状態に陥った、と言う自身の認識な訳だが、現状であっても、打開する方向へ入っていかない現実はある。もちろんそれである限り責任はここには無いのだけど。何とも糸口の見えない感覚は重くある。
当然の様に、「人力発電機のネットワーク」”それ”も同じ扱いだ。ここに依存する事は出来ない、結果、経済的には何処かそこか切り捨てが発生し、象徴的にか、芸能人の自殺、そう言う流れへ入っているのかもしれない。
とは言え、気づく部分も有る。
「大賀さん」によって反逆者とされた人々は、結局は”こういう評価に成る”訳で。
平成は、「昭和天皇」と言う王の”それ”により同じ結果が有った。その不満の蓄積により平成の変動があり、今も、その是非と言うべきだろうか?或いは、だ。しかし。
たかが売春婦を一人強姦致死しただけで!なんで?!
それは今も、ここには不意に感じる憤慨ではある。
「価値観の相違」と言うのは、そう言えば昔から面倒な話ではあった。