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あげちうのブロマガ

無理の先で人は狂気を纏う

「勇者に成る為には、この聖剣を抜けなければ成らない」時、勇者が居ない事態がある。

それでも魔王に挑まねば成らない、時。聖剣を持たずに挑んだ奴は、単なる愚者か否かだ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「やります行きます解ってます!」の、その時の心理状態はかなりぐちゃぐちゃ

 

「王の権威と言う奴がいて、それ以外には出来ない」と言う”仕事”を、そうじゃない奴に要求する結果、その責任は何処に?という問題が相変わらず深刻になっては居る。ストリードさえ使えれば、という”それ”が通らない状況だ。「つまり、王の権威の意向に従えと言う事か?」従来の感覚はそれでしかない。ともかく個人で100万円程度の「博打」をするのも勇気は必要だし、失敗した場合の損害を埋めるのは自身である、時。それが100倍、1000倍になる状況で、その勇気と対価は何時まで支えきれるか?ではある。

ともかく、無理な人には無理だ、というそれは、深刻に重い。

最近話題になった、「京都の庭園にあるおしゃれなレストランに入ったら、出てきたのがレトルトだった」と言う失望と、「ムカついたんでネットで晒します」と言う、その反応の是非ではある。これに繋がるのが「津波警報で感情的に非難を叫んだアナウンサーへの、一部の反応」だったりもする。当然受けられるだろうサービスが得られなかった、ストレスという損害から第三者を護らんという行動は、「そんな大げさな」その正常性バイアスに多く無視される訳で、損害が加速してしまう現実はある。しかし。

「貴方一億円持ってるんですよね?なんか事業でも始めませんか?」

それに対して応じない、というのも実はストレスだったりするのだった。

先に出た「おしゃれなレトルトのレストラン」も、或いはそう言う過程で発生した店かもしれず。だったら最初から看板に「レトルトです」冷凍食品を提供する店です、って書いておけば良いが、”それ”が出来ない固執、それは深刻に重い。「許されない」のだ、しかし、店のオーナーには外観に相応しいシェフを用意できる力量?そう言うのは、無い。

だったら最初からやらなければいいのに。

ウクライナへの7000億円を超える貸与に対しても、それは言えるか否か。

「”今”の仮面ライダーには昭和にあった根本的な”何か”が欠けている」時、今の世界は”それ”を補う事は基本的には出来ない。平成で、悉く損害を出した創作と状況は殆ど変わっていない。誰の責任か?だ。要求する理想に対して応じられる存在が居ない時、それを求めても無い物は無いのだが。

スキージャンプの競技で、貴方の番です、という”それ”を前に「辞めます」辞退します、それは許し難い事か、或いは。

毎度毎度思う事だが本当に、花形ではありつつも「あり得ない」そんな競技ではある。出来る奴は限定される、その上でスキルも必要だ。しかし「無理だ」と解っている奴に無理強いする、のは…エヴァンゲリオンの頃から伝統みたいな物、かもしれない。何となく「何とかなる!」様な気がしつつも、なんともならないのが現実だったりするのだが。

「役立たず」と自認さえする奴に廻ってくる役職、という現状とその破綻は、果たして何が原因なのか。

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