”印象”の悪さではある。
「バイオハザード:RE3 レジスタンス」は、以前に自分が企画した「バイオハザードU」そのパーティモードその物?とは言えて、だから。かなり今回は、「使ってます」を隠してない訳だが。
「2BRO」でのプレイ風景、その印象には、微妙に緊張感が有る。
実際問題、「デッド・バイ・デイライト(DbD)」の動画にはそんなイメージ、雰囲気は、無い訳だ。形而上かでの「印象」それに、忌避感だろう、”それ”があって。でも?実際にはDbDは、バイオハザードUのパーティモード、それに対する皇帝創作、それに近い物として存在し…当初は、契約もされていなかった。だから、だろうか。最初の販売会社は何故かそのまま倒産してしまったが、今もこれは会社を変えて、続いている。
続けている、と言うべきかもしれない。
今もDbDは”ゲームとして”は、重大な欠陥を抱えたままだ。「釣り」の存在は残ったままで、ゲームが成立する上では、特にキラー側の”忖度”が必要になる。”それ”に遭遇するとこれは一気にゲームとしての魅力を失う訳だが、制作側はこれを改善するつもりはない。
だから、目指している?のは、あくまでも「ショー」としての”それ”な訳だ。”俳優ら”が理解し演じる時、そこには期待される絵が発生する、そう言う。
ゲームを遊ぶのは、基本的には一般人であり、”それ”を期待出来ないのだが。
「ショー」として世界を制御したい時、”それ”をしない奴は、この領域には不用だ。
だから、撮れ高は時に高い。「ゲームとしての白熱」はしかし、混沌として無秩序で。本気の罵詈雑言が飛び交っていて、全く美しくない。目指しているのは”ホラー映画の臨場感”である。ただ多分、”それ”をゲームユーザーは、微妙に求めては居ない。
ゲームとしての利益性、それを目指す時、DbDは改善か否定される理由はある。
ただ、世界を「ショーとして」制御する、その結果として理想が現れる!と言う思想の帰結としては、DbDを受け入れない世界の方が間違っている訳で。
場合によっては「新型コロナウイルス」それへの脅威を煽る側は、DbD側なのだ。
逆に言えば世界は、”この”意識によって強力に支配?か汚染されている、訳だ。
K1は、幸い罹患者は出なかった。
しかし、今の状況で「だから大丈夫」それは、言えない。
人命が掛かっている結果、「実験」それは非常識この上ない。
億が一の可能性は、良くも悪くも志村けん氏の死去により明示されてしまった。
”それ”その物が、新型コロナウイルスじゃないのか。
”そこ”へ繋げるのはまだ、材料が足りない部分はある。
「ストリードが張ってある場所には、新型コロナウイルスの羅漢者は出ない」何故なら、”この”システムは因果律的にも独裁性をほぼ完全に否定するから、だ。”神”の意思を最優先する、誰か人間の独善、それを良しとしないだから、ここには新型コロナウイルスの猛威は存在しない。
事実であっても、”それ”はそれを主張はしない。単に結果として現れる”だけ”だ。その時、「私が神だ!」その声の方が、時にパワフルだ。
何故か不意に、自身の上を求める時、そこにそれは常に、ある。