疑問は尽きない。
「ショートサーキット出張動画版」それはもう、5年も続けてしまった訳だが、ある意味での”目的”それは、一応は達成しては居る。ストリードの連携、これは耐用年数的には100年は持つ、その実証は、した。
と言うモノに対して、評と言うニュアンスでこの動画はある。
問題は有る。
前後に差が無い。
描いた?人にすると、「前後の内容に差は見えない」訳だが一応は、風景と動物、と言う差はある。意識の問題もあり、後者の方が比較的には”動的”だ、少し遊び要素。
溝はある。
説明し同意を得る、それは徒労感がある。
…しかし主観で、”この”評をする感覚が、例の40億円の損失をして身請けされる結果に成った、感じで。
この主張に対してグラディウスのコツ、を伝えたら、スーパーマリオで使えないと文句を言ってくる事に成る訳だ。
”それ”に対して説明するのは徒労感がある。
ゲームとして、「面白い」それは、「意味がある」或いは何かへの社会的貢献を感じる時、そこにその感覚はある。人に必要とされる事をしている、自分に必要性がある、その理解がそこに快楽と言う価値を産む、訳だ。ただ、もちろんそれはゲームによって違う。一般論で「面白くない」ゲームとはその社会貢献性が低いか無い場合だが、人によっては自身の敵を倒す!それこそが!と言うのは有り、マニアック、とは言え売れればそこには、価値はある。
「で、なんでこのゲームは売れないのかね?」
それを説明するのは、徒労感がある。
「グラディウスとパックマンには違いが有る」と言う前提が、何故無いのか。
そこはまだ、新型コロナウイルスの脅威の如く、不明瞭だ。
馬鹿とは、皇帝に対して鹿を馬と伝えた奴の事だが。
意図は単に、「差が解らなかった」実は本当に、そこかもしれない。
或いはそれは、信念にさえ基づくのだ。
そこに、剣呑な深淵はある。