あげちうのブロマガ

シュレーディンガーの猫は居ない

それは貴方の主観です。

結論で、どんな創作だろうと、考えだろうと、そう。
人間の脳内は、男女変わらず”その人の独裁国家”であり、その人が神だ。
単に妄想で神様である事が、現実的には意味が無いだけで。

どんなに高度な勉強をしていようと、それは貴方の「頭の中だけの把握」でしかない。

”それ”と異なる結果が「現実」に現れていたら、”貴方の方が間違ってる”訳だ。


しかし、その辺の話の混沌が、「シュレーディンガーの猫」ではあり。
このパラドックスが何故存在するか?と言うと、「観察者」その存在が、「それが見て、初めて実在する(状態が確定する)」神様?が、脳内では”自分”しか居ないから。
普通は、「それは妄想だ」解っているのだから、自分の”外に”判断を求める訳だが。
まあ、聞かれる側は段々、”それ”を求められなくなって…、結論?

自分にしか決定権が無いポジション、そこでその判断か正しいか否か、誰が解るのか?誰に聞けば良い?

今は、「サイコロに聞こう」大賀さんの結果はどっち?”ここ”は、それが有るけど。
無い頃は?

サイコロの出目に人生の選択を委ねると言うのも、どうにも。

その辺を否定?する時、一部に「私が神様です」その、歪みが発生する、それが九尾の狐
これは面倒だ。そこへ至るまでに散々勉強している訳で、理論武装?では殆ど、勝てない。最後の判断を仰ぐ時、自分の主観で選択するしかなくなる場所で、昔は答えが無かった。

自分で決めなさいよ。

この時、その場所では選択の結果、重大な損失が発生したりする。
これは精神構造的に、男性よりも女性の方が陥りやすく、故に大概は女性が”そう”なる。
その人が悪いのだろうか?そうとも言い難い、しかし。
でも、間違いなくその人の判断が招いた悲劇なのだ。

古い方法論に固執する限り、この”発狂した人”は、何処かに発生はしてしまう。
しかし?状況を任意で動かしたい時、この人は存在を求められる訳で。

…今更、死んだ人は生き返らないのだ。

最早。

ともかく「こんな状態」を残す結果、上に立たんとする人が、居なくなってしまって。
昔は天皇家が居たが、昭和天皇もその皇后様も、あまり良い状況には成らなかった。
人間には判断出来なくなるポイントがある。天皇は神、という訳にも物理的に行かなかった。

「最後は大賀さんの判断を仰ぐ」それに、今の所は帰結は有る。
それがどんなに理不尽であろうと、それが神の決定で有り、”それ”は大衆の監視下において決断されたモノだ、人類総意の決定である…多数決は正義だ。

結果に逆らう時、見た目、酷い悲劇も起きる。
誰が逆らっているのか?

そこは、罰は本人へと、返っては行くのだ。

平成に吹いていた何かの風は、今はもう吹かない。
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