現状、意味も無いが。
俳優の大杉漣氏が急死。何かの状況の変化?「それは無理だ」ある意味でハッキリした後の、一つのちょっと問題ある、変化。一応、「表側」の苦境、破綻、その発露の一つ…そんな風には言うが。特に悪いイメージも無く「仕事してる」感のある俳優だった気はして、何とも切ない?感じは、有る。
それでも、理解の差は或いは、有ったのかもしれない。
表側と裏側の差は何か?或いはアニメに対して「これが10億円位の値段に成れば」裏が同意を求める時、「なる訳無いだろ」表側の、反応。経験と実績に裏付けられた断言だ、創作には価値が無い、投入しただけ、減る。
「じゃあなんでゲーセンに行くんだよ」
これは”表側”の反応だ、カジノでも良い。表側の認識はただ、”それだけ”だ。そして間違いなく、今「面白くない」アニメの殆どはその通り、だ。色々細かい意見はともかく、オリンピックでさえ、大量のお金を使う割に、残るのは借金しかない。戦争が現実味を帯びていた頃、「スポーツ」それは平和の祭典だったし、「戦争するよりはマシだ」そこにスポーツは大いなる価値が有った、にせよ。戦争の脅威が薄れた今、その必要性も微妙に薄れている。
事実は語る事は出来る。「だから」その先は…語れない。
何というか、大杉漣氏が亡くなった結果か、急激に「お金が無い」的なストレス?それが発生してる、気はする。それは総じて表側の現実であり、シニア世代の理解と帰結にも繋がっては居るのかもしれない。もちろん”ここ”だって、お金の為にやってる訳でもないのだ、何かの遊びの一環である…実はそう言う要素は強い。細々とした不満?に対して対応し続ける様な、「意味がある」と思うからやってはいる。ゲームと言うのはそう言うモノだ、何か本人には意味があるから。
…ただ、ゲームを遊んでいる限り、プレイヤーはそこからお金を得る事は、出来ないのだ。
仮想通貨の「マイニング」が、Aは「分散レンダリングのPC」で、Bは「遠隔操作のBot」と言う時。Aは、或いはMMD動画みたいなのを高速でレンダリング出来る。Bは、或いはTwitterのフォロワー数を100万人にする事が出来る、実際には100人に満たなくても、だ。「どっちが面白い?」この「面白い」数値に対して、或いは仮想通貨の「値段の上昇」は依存してる。Aは、MMD動画を創れる、しかし”それ”をアップしても、Youtubeのカウンタは、100未満かも。
もちろん後者に価値は無いのだが。「有る!」俺は後者の方が面白い、その人々は膨大なお金を”そこ”に、払い続ける訳だ。
払っている?
リーマンショックは何故、起きたか。