今後を考えても、大事な話かもしれない。
「個人で創った物が、プロのスタッフ総動員で創った物より価値があるとか?」
苦笑すべきか或いは、しかし。
不意にある、多数決でごり押しが可能な恐怖を前に、その事実は、一つの壁には成る。
それは認めていても、別に問題のある光景、でも無い。
「美鶴さんの長い妄想」には、元ネタ、「オリジナル」が有る、「破魔師 美鶴の初仕事」と言う作品は今も、「かむろぎ」と言う組織?と共に、表には無い。一応、意図は”それ”に対して「これ漫画ですから」それで抑止する、と言うモノ、だ。膨らんでいく感覚、その先に有る、「それは事実である」その誤認と、それに伴う感覚の歪みと狂気、”それ”に対してでも、水を差す物ではある。
これ漫画だから。
”その先”に、「”雅”市場」その定義が有る。仮想現実として、しかし「現実に比する世界で」出した結果は、現実にし得る可能性がある。プレイヤーが”それを得た”時、それはそれが必要な場合に所有者の中で、何かの力に成る訳だ、運命を変え得る選択と、その結果を可能にする「幸運」に成る。しかし逆に今は、それが直ぐに具現化する、訳では無い。単にそれは、「価値」経済の基幹、紙幣が示す数値の担保、それであり、その増加は、経済を活性化させ、暮らしを安定させる。
「何故?」それはだから、価値があるモノには、そう言う意味があるから、だ。
結果その物が具現化するには、その時が来るか、それが求められた時でしかない、今か?それは謎だ。今、世間に必要なのは?「お金」と言うなら、それはそこに発生はした。それが利益を出す事で?それを作ったスタッフは生活出来る、それを販売した店も幾らかの所得の増加がある。それは税収へフィードバックし、最終的には地域を、或いは国家さえ維持し得る。「売れる創作を創る」と言う事がまず第一だが、そこには、そう言う理由はある。
今、現実が動く、変わる訳では、無い。
ともかくその面倒な事態は、発生前に「ってなるかも」その悪夢を前に、止まる。
自分も立場の変化かで、認識は変える必要はあるのかもしれない。個人創作がプロ創作を超える、と言う事態は有るし、それが自分に起きないとも限らず、今、或いはその創作の暴走が、この「美鶴さんの長い妄想」がそう言う物であれば止まる、のなら?「これ」は、それよりも”少し”上位だ。その方が良い、なら、これは今、オリジナルより上位ではある。
夫の給与が増える、と言う事は、妻のそれでは無いかもしれないが。
「利益に成らなかった」それは認識としては、間違いなのだろう。
「美鶴さんの長い妄想」それは、ヒットはした、のだ。