神様も思案だ。
「神様何とかして?」の内容が、衝突する。
家族がおり、生活その他に不安、「何とか」その祈祷は、多くの同意も得やすい、が。
”その”倫理で行くと、”そうじゃない状態”は、どうも後回しにされやすい。
家族から奴隷として売られた少女が苦境です、打開を。
少なくとも日本では、”これ”にリアリティを持てない。優先すべきは?と言う時、多数決では勝てないかもしれない。しかし、「大衆」的な緊急性から言えば急務で、実際に「面白い」利益性、それは”そっち”に有るとして、しかし。
民主主義はこの時、「魔物に魅入られ暴走を始めた息子を助け出す」様な物語の方を選んでしまい、「萌え系美少女が魔王討伐に挑む」様な物語の方は、否定される。
「大賀さん」での決着、利益性を目指した選択、それとしては今、後者は勝つのだが。
世界は今も、その選択を優先はしないし、そこに”常識”は無い。
そして、こういう事件が明るみに出て、少し悲痛な顔をする訳だが。
この辺の話は、「UFOロボ グレンダイザー」と言うアニメが、フランスで国民的アニメ、に成っている現状にも合致?はする。”それ”を求めるのは、必ずしも”それ”を創った環境じゃ無い訳だ。「売れれば良い」と言う感覚は、結論では利益と共に”こういう結果”を発生はさせる。創った側の求めた結果じゃないとは思う、そこまで評価されても何の実感も無い、のは。それは自分にとっては何の利益も無いからだ、お金以外は。
「売れれば良いだろ」
すると自分の夢や理想や視野範囲に有る問題の打開は後回しで良いと言うのか?
そんな自分には無関係だろう美少女の不幸なんか、どうでもいいのでは。
インターネット時代、そうで無くても「売れる」と言うのが、グローバルな「祈祷」神様何とかして?に対応するのが求められる現状、ではあり。善意同士が最後は衝突する、優先すべきはどっちか。
結局、神様?にしろ「大賀さん」その結果こそを優先する、事には成る訳だが。
そこには剣呑も有る。